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【40日目】その2 システィーナ礼拝堂

ヴァチカン

2008/04/23 その2

サンピエトロ寺院とは別に、ヴァチカン博物館に入場すると、その一番奥にミケランジェロ「最後の審判」のあるシスティーナ礼拝堂へ入ることができます。途中の絵画館ではラファエロの作品(写真右)も間近で見ることができ、この時代の貴重なコレクションが一番詰まっている場所と言われているヴァチカンならではの鑑賞が楽しめます。

博物館の中ではやはりシスティーナ礼拝堂が一番の見どころだったのですが、残念ながら写真撮影はできないようでした。

【41日目】その1 インターシティ列車でローマからナポリへ

テルミニ駅

2008/04/24 その1

今日はローマをチェックアウトして南に2時間、列車でナポリへと向かいます。イタリアは見所がいっぱいあるのですが、今回の世界一周旅行ではローマ、ナポリ、そしてヴェネチアの3都市を中心にまわります。それぞれ3~4日の駆け足になってしまうのは予算の関係もあり仕方ありません・・・。でも、ローマに滞在した印象では、そんな忙しそうに見える日程でも、主要な見所をまわったうえで、ゆっくりすることはできそうです。

昨日の夕方、テルミニ駅の自動券売機であらかじめ購入しておいた、インターシティ列車ローマ発ナポリ行きの便は、10時半ごろに出発です。テルミニ駅は、国際空港さながらの乗客で溢れていて、ローマからイタリア各都市へと移動する列車を待っている人ばかり。大きな荷物を抱えた人達でいっぱいです。午前中のこの時間は、ナポリだけでなく、フィレンツェ・ヴェネチア・ミラノなど、各方面への列車が随時出発している時間帯です。

僕らの乗り込んだナポリ行きの列車は満席。全員が旅行者というわけではなく、現地イタリア人の移動の足としても使いやすいのでしょう。座席を予約しておかなければ、乗ることはできなかったかもしれないくらいの乗客です。

今回の僕らの世界一周旅行では、長距離列車を使う機会はあまりないのですが、数少ない列車旅の一つとして、イタリアの田園風景をのんびりと眺めながら、あっというまに2時間が経ち、ナポリ中央駅へと到着しました。

駅から出て、予約してあったホステルを探すのですが、ローマと違ってナポリは予想通りの危険な雰囲気。ゴミが散乱、山積みの状態で、空気も汚れており、ゴチャゴチャ感があります。人も溢れておりなかなかスムーズにまっすぐ進めません。常に人と密着しながら進んでいくので、スリなど細心の注意が必要です。そんな中、石畳の上で荷物をころがし、ようやくホステルへとチェックインしたのでした。

【41日目】その2 ナポリは恐怖の街?

ナポリ

2008/04/24 その2

ホステルに着き、荷物を置いた僕らはさっそく、ナポリの待ち歩きをしてみることに。しかし、中央駅から宿までの徒歩10分ほどの間でも、なかなか治安がよろしくなさそうな雰囲気がと伝わってきます。

宿のオーナーも、僕らが外出しようとすると、「ポケットにお金やカメラは絶対だめだ!」「盗られて困るものは宿においていけ!」「首からさげる袋に、最低限のものを入れて隠しておけ!」「かばんはすぐに紐を切られて奪われるから極力持ち歩くな!」など、入念に注意がありました。もちろん、どの街でも最低限の注意を払って旅を続けていますが、ここまでしっかり警告されたのは初めてで、気も引き締まります。いよいよ危険地域に足を踏み入れたのでしょうか・・・。最近のニュースから、危ういイメージが強いナポリですが、現在の状況はいまいち把握しきれていません。

ウンベルト1世通りというナポリのショッピングストリートも、ほとんどの店が閉まっていて閑散としています。そこから左右の小道に入っていくと、さらに薄暗くて危ない雰囲気が・・・。昼間なので大丈夫と思ってやや早歩きで見所を観て回りましたが、やはり他の街とは違う空気がナポリには漂っています。(※ほとんどの店が閉まっているのは平日のみで、土日は案外にぎわっていました)

そんなナポリの街も、中央駅から30分ほど南に歩いて港まで出ると、少し雰囲気が明るく変わります。写真左のヌオーヴォ城は、後ろに広がるナポリ湾と青い空に映えて大きな存在感がありました。さらにその奥にある、民謡で有名なサンタ・ルチア港も、カップルがゆっくりとした時間を楽しむ場所として、とても落ち着いた雰囲気です。少し怖いナポリの街も、こういう風景を見ていると癒される感じがあります。

右の写真は、処理されていないゴミの一部。近頃のニュースで取り上げられているナポリの風景がそのままいろんな箇所で見受けられて残念ですね。つねにゴミが山積みにされ、ゴミが舞っている。そんなナポリ中心部の様子です。

【宿】ナポリ ホステル・ペンシオーネ・マンチーニ

HOSTEL MANCINI

持ち歩いている04年版の地球の歩き方ヨーロッパ版に載っていた数少ないホステルの中から選びました。治安に不安のあるナポリですが、このホステルは中央駅前の広場から徒歩3分くらいの距離なのでアクセスは安心です。ごちゃごちゃしたマーケットの中にあるので最初は見つけるのが少々難しいかもしれません。

プライベートルームを1室使用。部屋にバス・トイレが付いた4ベッドルームを占有して利用することができました。恐らくピークシーズンはこの部屋もドミトリーとして使われるのだと思います。

朝食付き。ベッドの寝心地は良く、ぐっすりと朝まで眠れます。ネット環境はありますが日本語不可。ドミトリーの一室に日本語が使えるPCがあるみたいですが・・・。

朝食付き 1泊65ユーロ

2008/04/24-27 合計3泊

【41日目】その3 ナポリピッツァ

ナポリピザ

2008/04/24 その3

ナポリといえばナポリピザ。
これを食べずにナポリを去ることはできません。

ということで、ナポリに着いた最初のランチはもちろんピザ専門店。いたるところにピザ屋があり、その中でも宿のオーナーのおすすめのお店「トリアノン」へ行きました。なんと35センチくらいはあろうかという大きなマルゲリータが3.8ユーロ。トロトロのチーズとトマトソース、バジルの香りが絶品で、これだけ大きなピザでも一人でペロリと食べれてしまうのが不思議です。

僕らが行ったピザ屋は、基本はマルゲリータとマリナーナの2種類のみの取り扱いで、トッピングが何種類かあるといういたってシンプルなメニュー構成です。こんな店がいたるところにあるナポリ、ここでは手軽なランチには困らなさそうです。

【42日目】その1 カプリ島へ!

カプリ島

2008/04/25 その1

ナポリに来る観光客が目指す場所、それはナポリの街自体というよりもその周りにある見どころでしょう。「青の洞窟」で有名なカプリ島や、世界遺産の遺跡ポンペイなど、ナポリからは列車や船を使って日帰りで各地を巡ることができます。

僕らも二つとも訪れる予定なのですが、気がかりだったのがカプリ島の青の洞窟です。小船で洞窟内に入ると真っ青に染まっているというあれですが、毎日オープンしているわけではなく、波や潮、天候の状態によって、その日の朝に、洞窟に入れるかどうかが決まるのです。僕らが到着した24日はOK、前日はNG、前々日はOKだったとのこと。朝、宿から島に問合せを入れてもらって、OKが出ている日にカプリ島に向かう事に決めていました。

ナポリ港からの格安フェリーは毎朝7時半に出航なのですが、その時点では青の洞窟がオープンしているか分かりません。残念ながら格安フェリーを使うことは諦め、オープンしていることを確証してから、その時点で一番早いフェリーで向かうのが良さそうです。そして、運命の8時45分。宿のオーナーに電話してもらいました。

幸い、本日25日は、空は快晴、そして波・風の状態も落ち着いているということで、青の洞窟はオープンするとのこと!さっそく、カプリ島へ向かうためにナポリのベベレッロ港に向かい、10時発のカプリ行きフェリーに乗り込みました。

カプリ島への所要時間は約50分。到着した僕らを待っていたのは、青い空と白壁の家やホテルが立ち並ぶ美しい街並みでした。昔訪れたギリシャ・エーゲ海の島々を思い出すようでした。ナポリの街を歩いたあとにこのカプリ島に来た人にはその美しさのギャップに誰もが感激するはずです。多くの観光客で溢れているカプリに僕らも足を踏み入れ、そして早速青の洞窟へのボートを申し込みます。

そして約20人乗りのモーターボートが満席になったところで、いよいよ青の洞窟へ向けて出発です。

【42日目】その2 青の洞窟(動画付き)

2008/04/25 その2

カプリ港を出発した20人乗りのモーターボートは約15分かけて青の洞窟へ向かいます。透き通った青い海の上を駆けていき、吹き付ける風を浴びるのは最高にいい気分です。そして、青の洞窟の入り口が近づいてくると、そこには入場をまつモーターボートが5隻ほど。

やはり超・人気の観光地である青の洞窟。一度に入れる人数も限られていますので、なかなか順番がまわってきません。順番待ちをしている船はユラユラ揺れますので、実際の入場までに気持ち悪くなる人もかなり多いようです。結局、そんな揺れた状態での順番待ちは30分以上かかるのでした。

いよいよ順番がまわってくると、次は小型の手漕ぎボートに乗り換えます。乗り換えてからさらに入場口ギリギリで5分以上待ちます。この小型ボートがキツキツ窮屈で気持ち悪くなりそうでした。写真左は、小型ボートに乗り換えて入場を待つ数隻。

そしてついに僕らの番。一気に5隻ほどが入場するうちの2隻目。洞窟の入り口をくぐる際はかなり岩が海面に近くまで突き出ているので、ほぼ身体を水平に倒して潜り抜けます。そして身体を起こして入り口を見てみると・・・。

キラキラと輝く青色が真っ暗闇の洞窟の中に輝いているではありませんか。洞窟内は意外に広く、何周かしてもらいながら、そのまさに「青の洞窟」の一瞬一瞬を目に焼き付けるのでした。そのときに撮ったビデオも少しですがお楽しみ下さい。

あっという間に終了した青の洞窟の観光でしたが、その光り輝くブルーは今もはっきりと頭に残っています。思った以上に明るくて驚きました。午前が美しいと言われていますが、僕らが中に入った午後に差し掛かる時間帯でもまったく問題ありません。

大満足の青の洞窟観光を終え、カプリ島の港周りを散策して夕方のフェリーでナポリへと帰るのでした。

【43日目】その1 ヴェスーヴィオ周遊鉄道

ポンペイ

2008/04/26 その1

昨日のカプリ島に続き、今日もナポリの中心部から少し離れて郊外へリトルトリップです。ナポリの中央駅からは、長距離列車などを走らせている国鉄のほかに、ヴェスーヴィオ周遊鉄道という小さな私鉄が運行しています。今日訪問するポンペイへは、ナポリから約40分で往復切符が3.8ユーロ。移動料金の高いイタリアの中で、この価格を聞いてホッと安心しました。なんせ、昨日のカプリ島往復のフェリー代金は一人約30ユーロほどしていますので・・・。

落書きいっぱい、まさにローカル線という雰囲気の列車はすべて各駅停車。最初の数駅はナポリ中心部と変わらないゴミが目立つ街並みなのですが、少し進むと高層ビルが立ち並ぶオフィス街や高級住宅街、そして数十分もすると右側にはキレイに青く輝くナポリ湾が見え、左にはヴェスーヴィオ火山が大きく存在感を示しています。

半分以上の乗客は世界遺産ポンペイ遺跡を目指しているでしょうか。40分の短い旅でポンペイ駅に到着。駅の目の前は、念願の一つであったポンペイの入り口です。

【43日目】その2 ポンペイ遺跡

ポンペイ

2008/04/26 その2

ポンペイ遺跡は、イタリアの世界遺産の中でも有名なほうなのでしょうか、それは良く分かりません。僕の中では、なぜか印象が強かったので、今回の世界一周旅行で訪れたい場所のひとつに早くからランクされていました。

高校3年のときに英語を習った塾での教材の、最初の長文読解の記事が、ポンペイ遺跡の歴史でした。それまではポンペイについて全く知らなかったのですが、その記事をじっくり読解していくうちに、日本語に訳す作業よりも、その記事の中身自体に興味を持っていったことを思い出します。

ヨーロッパ大陸の活火山ヴェスーヴィオ火山の噴火によって約1900年前に一瞬にして消え去った街だったこと、それまでは文明栄えるにぎやかな街だったこと、200年前に初めて発見され、発掘されていくうちに当時の様子がほとんどそのまま残されていたこと・・・。など、ポンペイに対する関心は強くなるばかりでした。そして、実際にこうして訪れることができたのです。

ポンペイ遺跡はひとつの街そのものでした。まだ未発掘の部分は多いとはいえ、その規模は大きく、簡単にまわれるものではありません。縦横に細かい路地がいくつもあり、すぐに迷子になってしまいそうです。劇場からスポーツ用の広場、教会なども残っており、予想以上にキレイなまま保存されています。

今日も南イタリアのあたたかい日差しに恵まれ、ポンペイでも気持ちよく一日を過ごすことができました。

【44日目】その1 アリタリア航空

アリタリア航空機

2008/04/27 その1

ナポリ4日目で今日は移動日。ローマ、ナポリと来て次の街を目指します。

北イタリアの観光地への移動なのですが、考えられる移動手段は2つ、列車と飛行機。鉄道料金がけっこう高いイタリアですので、約7-8時間の長距離移動となるとユーロ額も相当なもの。そこで、イタリア国内で運行している格安航空会社に目をつけていたのですが、それも利用日間近になっていたため、格安価格での販売は終了済み・・・。

どうしようかなと思っていたのですが、どうせ高いだろうという諦めの気持ちでフラッグキャリアのアリタリア航空のウェブサイトをチェックしてみると、おぉ、格安の座席がまだ余っているではありませんか!列車の価格とほとんど変わりなく、列車は7時間、飛行機は1時間nの移動ということなら迷わずアリタリア航空を利用★

思いもよらぬところで、アリタリア航空を初めて使うことになりました。ワンワールド系列ではありませんが、スカイチーム系列ということで僕らふたりともノースウエスト航空のマイレージがたまります。そんなわけで、17時00分アリタリア航空AZ1217便は、定刻よりやや遅れましたがあっという間にナポリからヴェネチアへと運んでくれました。

世界一美しい街とも言われるヴェネチアです。ローマやナポリとは違ったイタリアの顔を見せてくれるに違いありません。

【44日目】その2 ヴェネチアの夕暮れに浸る

ヴェネチア

2008/04/27 その2

ヴェネチアのマルコポーロ空港から中心部のローマ広場までのシャトルバスに乗っているだけでこのあたりののどかな雰囲気ときれいな街並みの様子が伝わってきます。ナポリから来た人にとっては特に強く感じるのではないでしょうか。

ローマ広場から宿のあるリアルト橋周辺までは、ヴァポレットと言われる水上バスで移動します。ヴェネチア市内は車は一切走っておらず、交通機関はすべて船。水の都ヴェネチアは、これまで旅したほかの街とは全く違う雰囲気を持った、非常に興味深い場所です。

夕方に到着したのがよかったのか、ちょうど船に乗って移動し、宿を探している時間は夕暮れ時。ナポリより少し涼しく感じる風を浴びながら、気持ちよくヴェネチアの細い小道を行き来するだけでもこの街を楽しめています。石畳が多く、階段状になった小さな橋も随所にあるため、コロコロのカバンを持っていると移動が大変ですが、リアルト橋から徒歩5分ほどの場所にあるゲストハウスにチェックインし、その後も夜でも安全なヴェネチアの街を散策し続けるのでした。

【宿】ヴェネチア ゲストハウス Da Gioia

Da Gioia

ヴェネチアにはホステルが少ない!そしてどの宿泊施設もあまりにも値段が高い!

イタリアの中でもトップクラスの観光地であるヴェネチアはその分だけ物価が高く、予算内におさまりそうな宿は見つけられそうもありません。ホステルワールドのサイトでずば抜けて評価の高かったゲストハウスを見つけたので、値段には目をつぶって予約しました。

新しく改装したてのゲストハウスは、まさに自分の家のようです。キレイな個室にすべてのものが備わっています。ネット環境が無いのが残念ですが、快適に過ごすにはこの上ないゲストハウスです。

朝食なし 1泊90ユーロ

2008/04/27-30 合計3泊

【45日目】その1 イタリア・ユーロ圏の物価高に苦しむ!

2008/04/27 その1

今回の世界一周旅行では、1日に使っても大丈夫な「予算額」を日本円であらかじめ設定しています。ワンワールドの世界一周航空券や、大規模な移動などを除く、宿泊費・食費・観光費・移動費などを合計した額を、しっかり管理した上で予算オーバーしないように考えています。

これまで、南米・北米大陸ともに、それぞれの国別に見ても、考えていた予算をうまく達成しながら進めてきました。物価が高い国では自炊を進んで行ったり、逆に、宿泊費等が安く済む国では、レストランでしっかり食事するなど、うまくバランスが取れていたと思います。

しかし、ヨーロッパはそううまくは行きません。1ユーロが165円前後で推移している今日このごろ、日本人にとって最も、金銭的に旅行しづらい国々がユーロ圏・ヨーロッパではないでしょうか。特に、今僕らがいるイタリアは、ユーロへの統一前は物価がヨーロッパの中では割りと安いと言われていましたが、ユーロに変わって一変。僕は今のイタリアしか知りませんが、何をするにもユーロから円換算するとびっくりする価格になってしまいます。

気軽なカフェやバールなどでランチを取ろうとすると、二人それぞれ10ユーロの食事をして、合わせて10ユーロで飲んだとすると、合計30ユーロ。日本の感覚なら「3000円」と思ってしまいますが、換算すると5000円です。昨日乗った、ヴェネチアの水上バス、3駅区間15分ほどの利用ですが、二人で13ユーロ(2200円)。ナポリからカプリ島までのフェリー+青の洞窟観光まで含めると二人で105ユーロ(17000円)・・・など。

ローマからナポリ、ヴェネチアときて、1日たりともこれまで考えていた予算内に収まったことはなく、逆にかなりのオーバーを続けています。

もうこれは開き直りの境地で、ユーロ圏の国々では、予算を例外的に引き上げ、一つ一つの支払いにブルーな気持ちになることなく楽しく過ごさねばなりませんね☆・・・とはいっても、やはり何度もATMでユーロを引き出すのは精神的にきついものがあります。イタリアやその他のユーロ圏は見どころいっぱいで楽しい!でも物価の安いところにも早く行きたい。って、次、物価の安い場所はどこなのでしょうか・・・。まだユーロ圏が続くような気がしています。

【45日目】その2 ヴェネチアで安く生き抜きたい

ヴェネチア

2008/04/28 その2

到着した昨晩は、日曜夜ということもあり、グロッサリーやテイクアウトの店が閉まっているところが多く、割と低価格のイタリアンに入りましたが、結局食事代にテーブルチャージや税金などが加わって30ユーロを超えるという事態になり、今日はできるだけ安く美味しく過ごしたいと思っていました。

街を散策していると、小さいながらもスーパーマーケットは3件ほど見つけましたので、0.8ユーロのフランスパンやらバナナやら、自分たちで食べていけるアイテムをいくつか入手。出来る限りレストランの部類に入ることなく、生きぬいていきたいと思います。

そんなときに目に入ってきたのが、ありがたき中華料理屋。さすがイタリアでもチャーニーズは問題なく存在しました。メニューを見てみると、チャーハンが3ドルからあるではありませんか。ペルーの中華ではどこで食べても美味しく、大量に盛られて出てきましたので、物価が高いヴェネチアでの救世主誕生!と思い、もうレストランで食べないという宣言は早速無視され、中華を試してみました。

しかし、ここはイタリアのヴェネチア。他の国の中華で出てくるようなボリュームを期待したのが間違っていたのか、チャーハンは1人前にも満たないような少量。別途オーダーした炒め物も同じく・・・。結局、腹6分目しか満たすことなく、追加オーダーせずにランチ終了。この2品に飲み物で14ユーロ(2300円)。僕らにとっては高い買い物なのですが・・・。再度、レストランではなくテイクアウトなどで食事を楽しむ宣言をするのでした。

そんな物価高に悩ませ続けてはいるものの、ヴェネチア自体の街並みは本当にうつくしく、感動的なものでした。地図をいくら駆使しても迷ってしまうほどの、迷路の様な街並みはマスターするのは難しく、地図など諦めて適当に歩くのが楽しいのかもしれません。人がふたり通れないような小道が続くかと思えば、いきなりレストランやカフェが立ち並ぶ明るい通りに出たり、気付いたら水路で行き止まりになっていたり。目的地を定めずに、わざと迷ってみると、意外な発見が続きます。

水上バスやゴンドラが流れていくのを橋の上から見下ろしたり、ロマンチックな結婚式を行っているイタリア人カップルを眺めたり、行列の出来ているジェラート屋に僕らも並んでみたり・・・、今日も天気の良いヴェネチアは、歩いているだけで楽しい街です。ゲストハウスも大変居心地が良く、ちょっと疲れたら部屋に戻ってコーヒーや紅茶をのんびり楽しんでいます。外でカフェするとすぐに10ユーロくらい出ていってしまうので・・・。

そんなわけで夜は、バールでパルマ生ハムがぎっしり詰まったホットサンドイッチ(3ユーロ)をテイクアウト。これがかなりのボリュームで、部屋でビールとともに楽しむとお腹は満腹。昼の中華、昨晩のイタリアンと比べても、こちらの方がしっかり食べれた感じがします。明日も何かテイクアウトのサンドイッチやらケバブなど楽しみそうです。

【46日目】その1 仕事遅れてます★イタリアでのインターネット環境

2008/04/29 その1

4/21にイタリアに入ってから、インターネット環境づくりには難航しています。その前まで旅行していたアメリカ・カナダでは、すべての宿泊施設で無線LANが利用できましたので、自分のパソコンさえあれば部屋でインターネットにつながり、ブログやメール、仕事も快適にこなせていました。モバイルトラベラーにとって、この上ない環境が続いていたというわけです。

しかし、ここイタリアではそううまくはいきませんでした。ローマ・ナポリ・ヴェネチアそれぞれで泊まった宿では、無線LANはありませんでしたし、有線LANケーブルの使用もできませんでしたので、ネット環境を部屋で作り出すことはできません。また、部屋の電話回線を利用してダイヤルアップも試みましたがうまくいかず・・・。

ローマとヴェネチアでは、インターネットカフェを利用しましたが、やはり時間制限がある中で二人で1台のパソコンを使うとなると、時間に追われ、ゆっくり仕事の処理などはできません。ローマでは1時間2ユーロだった利用料金は、ヴェネチアでは1時間6~8ユーロほどかかります。これではリラックスしてゆっくりインターネットを・・・というわけにはいきませんね。

そんなわけで、ブログの更新記事は部屋で作成し、ネットカフェで短時間でいくつかアップをするという方法でいくつか更新はしましたが、やはり、仕事に関してはこの期間は溜まる一方です。どうしてもインターネットにつないだ状態でいろんな情報を検索したり、メールをPCローカルに残したりすることが必要ですので、基本オフラインの状態では思うように進めることはできません。とりあえず「5月になったら対応します~!」という簡単な対応のみ各方面に行うことだけやりました。5月になって次の国で状況が改善するかどうかは不明ですが。

一応、明日移動する先では、無線LANが使えることになっています。期待したいところです☆

【46日目】その2 フライト予約キャンセル事件再び・・・

ヴェネチア

2008/04/29 その2

元々、明日は移動日でした。明日の夜のフライトで次の国へと向かう予約を入れていました。しかし、ヴェネチアで丸2日過ごし、見どころめぐりも街歩きもじゅうぶんすぎるほど楽しみましたし、明日チェックアウトして部屋が使えない状態で夜8時のフライトまでこのユーロ圏で何をするか?と思うと特に無さそうでしたので、予約変更して朝のフライトに変えようと思い立ちました。

ヴェネチア駅の観光案内所で、その航空会社の電話番号を教えてもらい(ミラノ事務所・・・)、僕の携帯をここにきて初使用。夜8時の便から朝10時の便への変更を申し出ました。

すると、電話口のお姉さんが妙なことを言い始めます。「いっしー氏のフライトは問題なく変更できるんだけど、エミ氏のフライトは、元々の夜8時の予約がキャンセルになっているわよ。原因は分からないけど、もし正規のチケット持っているなら調べるからチケット番号を教えて!」と。

予約がキャンセル?ニューヨーク空港でしっかり、次の便のオープン区間の予約を入れてもらい、二人分の旅程表もプリントアウトしてもらったのに、なぜ?とりあえずチケット番号が必要とのことなのでホテルに帰ってから再度電話。そこで出た別の女性もやはり同じことを言ってきます。機械が自動的にキャンセルしており、原因は恐らく、料金不払い・・・。

そんなアホなことがあるか!日本で高い料金払って17枚の世界一周航空券を購入したんじゃ~、と言っても、良く分からない様子。なかなか電話は難しいですね。チケットをFAXしろだの写真で撮影してメール添付しろだの、面倒なことばかり要求されます。ひとまず、正規のチケット番号を伝えて、しっかり詳しく調べてもらい、携帯に折り返し電話してもらうことにしました。

15分後くらいに電話がかかってきました。「ハーイ、ミスターイッシー」となぜか明るい調子。そして先ほどより何か腰低い口調です。聞いてみると、チケット番号から遡ってしっかり調べてみると、やはりこのチケットは有効で、予約は問題なく取れるとのこと。キャンセルになっていた原因は分からないが、こちらの希望通りの明日の朝便は二人分ビジネスクラスでちゃんと予約をすることができたようです。「いろいろ心配かけてすみませんでした」といわれると、こちらも、色々ありがとうということで無事電話は終了。晴れて明日の朝から移動できることになりました。

今日もし思い立って便の変更手続きのために航空会社に電話せずにそのまま明日の夜便のために空港に向かっていたとしたら・・・。満席だったとしたら乗れなかったということでしょうか。やはり世界一周旅行はトラブルはつきもの。なじみのない航空会社は、リコンファームは入念にやっておく必要があるのかもしれません。

それにしても、今日はあまりにもヴェネチアでまったりのんびり過ごしていたため、急に午後にこのトラブルが舞い込んできて、一気に張り合いがでたというか、モチベーションアップして張り切って電話してしまいました。緩んだ気持ちと引き締まった気持ち、変にバランス良く過ごせた1日になりました。

【47日目】その1 空港で足止め寸前

マルコポーロクラブ

2008/04/30 その1

なんとか予約の取れた本日のマレヴ・ハンガリー航空MA421便ブダペスト行きの出発は10時15分。7時のヴァポレット(水上バス)でリアルト橋からローマ広場へ向かい、ヴェネチア最後の船旅を楽しみました。ローマ広場からはシャトルバスでヴェネチア・マルコポーロ空港へ直通です。僕らは事前に切符を買っておいたからよかったものの、その場にいたほとんどの人はバスの中でチケットを買おうとしていたらしく、「中でチケットは買えない。あらかじめオフィスで買っていないと乗れない」と言われて乗車拒否。1時間に1本しかバスが無いのに、僕ら以外ほとんどの乗客は、乗せてもらえませんでした。サービスを検討したほうが良さそうに見えますが・・・。

そんなわけで空港に到着。ロビー入口に涼しく水が流れているヴェネチアらしい空港です。マレヴ・ハンガリー航空のカウンターに到着してチェックインは順調に進んでいるように見えました。2つの預け荷物に、ブダペスト行きの荷物タグが取り付けられ、ベルトコンベアで移動がはじまりそうなそのときです、カウンターのお姉さんが僕らの荷物のタグをビリビリと外しているではありませんか。そして、「ちょっと機械がうまくいかないから近くで待ってて」とのこと。昨日あれだけやりとりしてしっかり予約した便なのに、なぜまたトラブル・・・。僕らの後ろにいた乗客から先にチェックインをしていき、20分ほど後ろで待たされることに。

チェックインの列が終わったころ、ようやく僕らが呼ばれて、「大丈夫だったわ。ごめんなさいね!」とのこと。むぅ、どうしてマレヴハンガリーは昨日からトラブルっぽくなるんだろうか。ワンワールドの世界一周航空券の取り扱いに慣れていないのか、この便がアリタリア航空の便名もついているので他のアライアンスとバッティングして実はこの便は僕らのチケットが使えないのか・・・。理由はよく分かりませんが、ひとまず無事ボーディングパスを受取りましたのでブダペストへ向かうことはできます。

手荷物検査場はかなりの行列でしたが、ビジネスクラスの特権のひとつである「プライオリティレーン」で優先的に手荷物検査。さらにゲート手前にある「マルコポーロクラブ」というこの空港のビジネスラウンジで出発ギリギリまでのんびりできました。スナックやコーヒーを楽しみながら、ソファに腰掛けて搭乗まで待てるというのも、ビジネスクラスならではの利点です。

ラウンジで、昨日からの航空券のやりとりの疲れを癒し、いよいよ次の国ハンガリーへと向かいます。

【47日目】その2 CARPATAIRって?近距離路線のビジネスクラス

ヴェネチア

2008/04/30 その2

MA421便ブダペスト行きの出発が近づいてきました。ラウンジを出て14番ゲートに向かうと、すでに搭乗は始まっているようす。なぜかチェックインのときと同じお姉さんが登場ゲートで切符切りもしていました。マレヴ航空のスタッフはヴェネチアには一人しかいないのでしょうか・・・。

マレヴハンガリー航空を使うのは初めてです。どんな機体やフライトかなと楽しみにしていましたが、予約時にチケットに書かれていたのは、「operated by carpatair」の文字。カーパットエアー?まったく聞いたことありませんが、どうやらこのカーパット航空の乗務員と機体で運行する共同運航便のようなものかと思います。

バスで機体のそばまで来てびっくり。小さなターボプロップ双発機ではありませんか。バスに乗っている約20名がそのまま、このフライトの利用客数だったようです。小さな機体は左列が1名、右列が2名のみ。トロント・ニューヨーク間のフライトを思い出しました。ビジネスクラスの僕らは前から2列目でしたが、座席が広いのかどうか、ほとんど分からないくらいです。出発前に恒例のウェルカムドリンクのサービスはありましたが、やはり近距離路線はビジネスクラスと言っても、あまり大差は無いのでしょうか。

そんなわけでカーパット航空機は順調に離陸。小さい機体ながらほとんど揺れずに快適です。朝も早かったので、1時間10分のフライトと言えど、しっかり寝ておこう・・・。そう思ったときです。乗務員が前で作業をはじめ、最前列の紳士1名と僕ら2名の合計3名のテーブルにテーブルクロスをセットするではありませんか。「飲み物サービスくらいで、なぜテーブルクロス?」と思っていたのですが、なんと、ちゃんとプレートの軽食が用意されていました。これはビジネスクラスの乗客のみのサービスのようです。

パプリカのサラダにボリュームたっぷりの生ハム。あたたかいパンにケーキも。ワインを楽しみながらブダペストへの空旅はあっという間に過ぎていきました。マレヴハンガリー航空・カーパット航空ともに、あまり大きな期待をしていなかっただけに、ちょっとうれしいサプライズでした。

フライトは快調。定刻どおりにブダペストの国際空港へ着陸。EU間の移動なのでパスポート検査や税関なども特になく、そのまま空港の外に出ることができます。空港から街へは、最安値である市内バス⇒地下鉄⇒路面電車の乗り継ぎで、予約してあるホステルに向かうことにしました。

【宿】ブダペスト アンダンテホステル

アンダンテホステル

アンダンテホステル

日本人経営の新しくキレイなホステルです。僕らの滞在中に、オープン1周年を迎えたようです。最新のガイドブックにも掲載されたようですし、宿泊者のブログ・日記などで評判がとても良かったのでブダペストの宿はここと決めていました。ペルーの当山ペンションの情報ノートでもおすすめされていました。

2名用のプライベートルームは、まるで我が家にいるかのような、いや、日本に帰ったらこのまま我が家にしたいなと思える雰囲気。コンパクトなスペースながら、寝室はロフト部分にあり、リビングは広々と利用できます。自由に使えるPCが1台ありますので、二人別々にすべきことを進めることができました。キッチンも調理器具から調味料、炊飯器まで自由に使用できますので朝昼晩と好きなだけ自炊も楽しめました。

プライベートルーム(アパートメント)が3つ、あとは男女別ドミトリー(相部屋)が数室あります。共有スペースや共有キッチンはやや狭いですが、無料でインターネット(パソコンが1台あり、無線LANもばっちり)も使えますし、宿泊者が和気あいあいと楽しく過ごしています。夜遅くで、盛り上がったトークはとどまることがなさそうです。ブダペストの街も心地よいだけに、いくらでも長居してしまいそうなホステルです。

プライベートルーム 1泊1室50ユーロ~
ドミトリーのプライベートスペース 1泊1人14ユーロ

2008/04/30-05/03 プライベートルーム合計3泊
2008/05/03-04 ドミトリーのプライベートスペース1泊
2008/05/04-06 プライベートルーム合計2泊

【49日目】その1 徒歩での国境越え

2008/05/02 その1

ハンガリー観光の目玉のひとつ、ブダペストから北方面のドナウ川に沿った中世の街並み訪問があります。僕らも、日帰り旅行として、いくつかの街の中からひとつ選んで今日行ってみようということになりました。ガイドブックを見て、3つくらいあるなかからどれを選ぶか検討していました。そんなときです、検討していた中の一つ「エステルゴム」という街は、なんと北のスロバキアとの国境に接していて、橋でドナウ川を渡るとなんとスロバキアに入国できるとのこと♪こんな面白そうな話を逃すはずはなく、今日の目的はスロバキアで一杯カフェを楽しんで帰ってくる・・・というものになりました。

宿からブダペスト西駅までは徒歩で15分程度。そこから国内線の中距離列車に乗り込み約1時間半でエステルゴムの街につきます。ハンガリーカトリックの総本山であるエステルゴムにはそんなに多くではありませんが観光客の姿も目立ちます。僕らもランドマークである大聖堂の麓から、ゆるやかなドナウ川の流れと、その先に見えるスロバキアを眺めていました。(写真右の左手前がハンガリー、右奥がスロバキア)

エステルゴム自体の見どころはそれほど多くなく、中世の街並みをゆっくりと楽しむところかと思います。僕らの目的はあの橋の向こう。いよいよ、徒歩で国境を越えていきます。

【49日目】その2 スロバキアでカプチーノ★

2008/05/02 その2

徒歩で国境を越えた記憶というと・・・、陸路(列車やバス)による国境越えの経験はありましたが、徒歩は過去に経験はありません。橋を渡っての国境越えは、シンガポールとマレーシア間などが手軽で有名ですが、まさかハンガリー・スロバキア間でそんな体験ができるとは思いませんでした。

ドナウ川にかかるこの橋は、エステルゴムとスロバキアのシュトロボを結んでいます。観光客もゾロゾロ気軽に渡っている様子です。両替所やカフェが立ち並び、どちらの街の端のたもとも明るい国境の雰囲気です。念のためパスポートは持参しましたが、EU圏の移動のため、特に必要はなさそうです。

途中でスロバキアの国旗が貼られている箇所を通り、晴れて入国達成。これを1カ国と加算していいのかどうか迷うところですが、ヴァチカンも入れると世界一周旅行8カ国目の入国になりました。

スロバキア国境の街シュトロボのメインストリートは歩行者天国になっていて明るいカフェが立ち並びとても平和な雰囲気。ハンガリーと似た、とても歩きやすい広い通りと、青い空と多く茂る緑が印象的です。まったく下調べもせずにスロバキアに入ってきましたが、ゆっくりするには最適の街のような気がします。

もちろんスロバキアの言葉も何も知りませんし、スロバキアの通貨の名称やレートなんてもちろん調べていません。とりあえずハンガリーフォリントを1000だけ(650円ほど)を両替し、美味しそうなケーキが並ぶお店に入って値段チェック。なんと、カプチーノ2つとケーキ二つでお会計は・・・92スロバキアコルナ(約530円)でした。ケーキもコーヒーも非常に美味しく、そしてハンガリーやユーロ圏ではありえない安さで楽しむことができて大満足。無事、本日の目的を達成することになりました。

シュトロボの中心部の散策と、カフェでのんびりくつろいだだけで2時間ほどのスロバキア滞在でしたが、徒歩でドナウ川の国境を越える経験と合わせて、自分たちなりには見どころ・ネタの多い1日となりました。

【50日目】その1 祝50日★旅の折り返し地点はドミトリー部屋に宿泊

2008/05/03 その1

日本は現在、ゴールデンウィーク真っ最中。そんなことに気付くこともなく快調に旅を続けている僕らではありますが、やはりこの時期は海外旅行に出かける人がグンと増えるので、このブダペストを歩いていても家族連れ、友人同士、一人旅など、日本から来られている方もチラホラ見かけるようになりました。

そんなわけで、現在の宿アンダンテホステルもとても日本人宿泊客で賑わっているようです。僕らも、宿の手配が半月ほど前と、GWにしては遅かったため、同じ部屋での連泊が叶わず、今朝までの3泊はプライベートアパートメント、そして明日からの2泊も同じくプライベートを押さえることはできましたが、今日の夜だけは空きが無かったようですので、ドミトリー(相部屋)に宿泊となりました。男女別の部屋があるので、もちろん別々の部屋に泊まります。

基本は、「ドミトリーには泊まらずに世界一周旅行を!」ということでスタートしましたので、自ら進んでドミトリーを予約することはありませんが、このホステルはたいへん快適のため、つなぎの1泊だけこのような形になりました。

ドミトリールームなんて長らく泊まっていないな・・・と思い返してみると、2001年末のニューヨーク以来になります。ドミトリーとってもここは日本人のみが宿泊しているホステルですので、共有ロビーでブログの更新や仕事をしたり、他の旅人と自由にお話をしていると時間はあっという間に経過しています。本日5月3日の宿泊客は非常に関西人率が高く、その中でも奈良県民(奈良出身)が5名?6名?生駒や平群出身者や、同い年の方など、非常に面白い偶然でした。

夜中まで談笑している皆さまに、ワインやサンドイッチなどをたくさん振舞っていただき、大変お世話になりました。

【50日目】その2 ブダペストの夕暮れ

2008/05/03 その2

ブダペストに来てからドナウ川・くさり橋地域に何度か足を運んでいますが、今日は暗くなる直前の微妙な夕暮れ時を見物にやってきました。青空の昼間とも真っ暗な夜景とも違う、幻想的な風景が美しかったです。

日は意外と長く、これでも夜の8時~8時半ごろ。本格的に真っ暗になるのは9時近くになってからです。ドナウ川周辺に吹く風はとてもつめたく、長い間いると身体が冷えてしまいます。真っ暗な時間帯の夜景は、明日予定していることがありますので、今晩はこれにて宿に戻ります。

【51日目】その1 ハンガリー競馬を楽しもう

2008/05/04 その1

今回の世界一周旅行で、うまくどこかでタイミングが合えば、その現場の競馬場を訪れ、実際に競馬観戦・馬券遊びをしてみたいと思っていました。これまでなかなかそんな機会を作ることができませんでしたが、ここブダペストはゆっくりと過ごしていますのでチャンスかなと思っていました。実際に、地図を見てみると「競馬場」の表記がありましたので、あとは実際に開催状況を調べてみる必要がありました。

ブダペストのキンチェム競馬場のサイトをまず開いてみます。ほとんどがハンガリー語で書かれているので意味が分かりませんが、右側にある英語のページにスケジュール表がありました。どうやら、毎週日曜日に競馬は開催されていて、僕らがブダペストにいる5月4日も開催日になっているようです。

100%の確信は持てませんが、競馬を観戦できる可能性が高いということで、早速地図に書かれている競馬場に向かおうとしました。その出発間際、宿のオーナーと話をしていると、どうやら僕が思っている(地図に書かれている)競馬場と、オーナーが実際に駅前から目にしたことにある競馬場とは位置がずいぶん違うようです。以前にネットで調べたときに、2つあった競馬場のうち、片方が取り壊されたと書かれていましたので、間違えるとマズイと思い再度詳しく調べてみると、オーナーのおっしゃる競馬場が現存する正しいものでした。ギリギリ助かりました・・・。

ブダペスト競馬場(キンチェム競馬場)は、地下鉄のM2路線の終点からひとつ手前の「Pillango utca」駅が最寄です。開催日とはいえ、ハンガリー競馬が何時に始まり、何時まで何レース行われるかの情報は全くありません。さすがに午前中のみの開催は無いだろうということで、午後1時前には競馬場につけるように出発しました。

そして目的の駅についてホームから外を眺めた瞬間・・・。言葉を失ってしまいました。

これは明らかに競馬場。しかし奥に見えるスタンドには人は1人もいないようです。競馬場の芝も整備されていないようでタンポポが綿毛をゆらゆらさせています。

「まさか・・・。今日は、開催していないのでは?」

競馬場を発見できた喜びではなく、競馬開催に関する不安感に襲われました。もし未開催だったら、せめて馬場の見学だけでもして帰ろう・・・と、ゆっくりと競馬場の方面へ歩いていくのでした。午後からの開催、もしくはナイター開催がありますように!

【51日目】その2 競馬場に入場&本日は開催日なり☆

2008/05/04 その2

駅から見た、人影ゼロの競馬場に不安を感じたまま、競馬場の入口へと向かいます。入口あたりまで来ても、やはり人の姿はありません。でも、入場門は開いていました。「もしかして、早く着いただけで、競馬は開催日かな」と期待を持ちつつの入場です。特に入場料金もかからないようで、散歩気分でいつのまにか競馬場の敷地内へと入れました。

中には、ほんの数人ですが人がいます。でもどうみても競馬自体が開催されている雰囲気はありません。そこで、近くにいた人を捕まえて聞いてみました。

「今日は競馬は開催されるの??」
「オー、もちろんさ!あと1時間後の午後2時からね」

やりました★
本日、競馬が開催されることがこれで確定!ハンガリーのブダペストでついに馬券購入まで楽しむことができます。それにしても、開始1時間前でこの人の少なさ。レースが始まるころにはどれくらい人が集まるのでしょうか。

350フォリントでレーシングプログラム(左)を購入。割としっかりできています。本日の出馬表や馬柱だけでなく、先週の開催の詳しい結果やニュース等も充実しているようです。全てハンガリー語なので全く理解できませんが、競馬新聞を読みなれている人なら、馬柱に書かれていることはかなり解読できます。読み込んでみると、ほとんどが8~9頭立てのレースで、すでに何度も対戦しているようなメンバーとの再戦が目立ちます。日本の地方競馬にかなり近いのではないでしょうか。

あまりにも小さい電光掲示板は写真にもはっきりと写らないほどでした(右)。

【51日目】その3 馬券購入&レース観戦

2008/05/04 その3

第1レースの発走30分前になると、小さなパドックに出走馬9頭が登場。日本のサラブレッドよりも少し小さく感じられる印象で、どの馬もどうやらピリピリしているようです。そんな僕らの横を騎乗する騎手のみなさんが普通に通り過ぎていき、馬にまたがり始めました。

パドックから数十メートル先が馬場です。あっという間に入場し、そして向正面へと各出走馬は散って行きました。ここでようやく、ポツポツ増えてきた観戦客が馬券購入エリアへと足を運びます。

日本の競馬場のように自動券売機のような設備はありません。すべて口頭もしくはメモ書きでのやりとりになります。もちろん僕らは口頭なんて無理ですので、買いたいものを詳しくメモにして手渡すという方法で何度か馬券を購入しました。単勝(TET)と馬単(BEFUTORA)だけ覚えていたので、特に馬単を中心に購入。実際、馬券の種類は、単勝・複勝・馬単・3連単くらいしか無いようですね

無事、馬券を買えた僕らは観覧席に移動。やはりスタンドはガラガラで人はほとんどいません。(上記は第3レース発走直前の様子)

僕らと同じホステルに泊まっていたという日本人の方も加わって3人で第1レースを観戦しました。結果は、人気どおりあっけなく決着。あまりにも予想しやすいレースだったため、3人とも単勝・馬単など見事的中★ハンガリー競馬での良い思い出になりました。とは言っても、堅い決着でしたので、ほぼ儲けはありませんでしたが・・・。

その後、第2・3レースも馬券を楽しみましたが、残念ながら的中することはできず、本日の結果は負け。でもあまりにも情報が少ない中で、無事競馬を楽しむことができて大満足のキンチェム競馬場訪問でした。

【51日目】その4 ブダペスト夜景ドライブツアー

2008/05/04 その4

再びアンダンテホステルのプライベートアパートに移り、夜はこのホステル主催のブダペスト夜景ツアーに参加させていただきました。宿泊客の中から参加者を募って、ツアー代金をシェアして1時間半ほど、宿の車で夜景を見てまわります。

英雄広場からスタートして、くさり橋を渡って旧市街の中へ。その後、ゲッレールトの丘からブダペストを見下ろす夜景を楽しみ、最後はくさり橋のふもとに停車してゆっくりと王宮方面をながめます。

これだけの見どころを自分たちでめぐっていくのはとても大変ですので、こうして車で効率よく連れていっていただける企画はとても助かります。車内で流れる90年代J-POPを耳にしながら見るブダペストの夜景は格別です。

【52日目】その1 マレヴハンガリー航空の事務所で予約手続き

2008/05/05 その1

最高に居心地のよかったブダペストもそろそろおしまいが近づいて来ました。結局、合計6泊したことになります。今回の世界一周旅行で一箇所に6泊したのは初めてですので、それだけ宿も街も物価も、旅の要素いろいろバランスが取れていたのだと思います。

明日出発!と言っても、実はまだ出発便の予約は取っていません。マレヴ・ハンガリー航空の次のオープン区間を予約しなければと思っているうちに、気付いたら前日になってしまいました。どうしてもこの航空会社は世界一周航空券ですと予約トラブルが起こりがちですので、ちゃんと紙のオープンチケットを持って街の事務所に出向くことにしました。

上記の写真は、事務所の待合椅子。飛行機の中ではありません・・・。

やはり事務所に来て予約をしてもらうと、何もかもスムーズに進みます。あっという間に、ブダペスト発の次の便に予約を入れることができました。座席もその場で指定しておけます。ギリギリ前日でも席が空いていて助かりました・・・。これでいよいよ、ハンガリー滞在もあと1日ということに確定しました。

【52日目】その2 ハンガリー名物・温泉へ

2008/05/05 その1

温泉大国ハンガリー。ブダペストを観光で訪れる人の多くは、到着して数日以内に、名物の温泉を訪れるのではないでしょうか。市内には、いくつもの大きな温泉があり、毎日のように遊びに出かけるという人もいるようです。そんな温泉ですが、僕らもようやくあと1日というタイミングになって初挑戦。

野外の温泉温水プールがあり男女一緒に水着で楽しめるところ、ということで市民公園にある「セーチェニ温泉」に決定。あの、温泉プールの中でチェスを指す姿で有名な温泉施設です。

前日まで快晴が続いていたのに、あいにく今日は雨が降ってしまいました。ギリギリになっての初訪問なので、もう日にちは選べません・・・。入口で入場料を払い、地下のロッカー部屋で着替えて、いざ野外温泉へ。

水温はややぬるめと聞いていたのですが、今日は昨日までと比べて若干気温が低いので、38度の温水プールからは湯気がモワモワと立っています。あごまで一気につかってみると、これが気持ちいい♪旅行中は浴槽でゆっくり・・・なんてことはできませんので、あったかい温泉は疲れが取れて体もリラックスします。

ヨーロッパ最大級の温泉治療施設ですので、野外プールだけではなく、屋内にも数種類の温泉やサウナが充実しており、何時間でも過ごすことができそうです。マチュピチュ村以来、1ヶ月半ぶりの温泉に、心と体が癒された1日でした。

【53日目】その1 英雄広場

ブダペスト

2008/05/06 その1

先日の夜景ドライブツアーで訪れたポイントのひとつですが、昼間の青い空をバックにした英雄広場はまだ見ていなかったので、宿からゆっくりと地下鉄5駅分、通り沿いをテクテク歩いて行きます。

パリのシャンゼリゼ通りを手本にしているといわれるこの通りは、英雄広場からまっすぐ西へ進めばくさり橋のあたりまで続いている大通りです。途中、おしゃれなカフェが立ち並ぶエリアがあったり、緑いっぱいの歩行者専用通路があったりと、天気が良い日に歩くには最高ではないでしょうか。

昨日の雨とはうってかわって、今日は無事、青空を背景にした明るい写真が取れました。こんな風景を楽しみながら、この通り沿いにあるオープンカフェで昼間からビールを飲む。こんなのんきな毎日が続いています。

【53日目】その2 ブダペストを発つために空港へ

ブダペスト

2008/05/06 その2

4泊くらいかな?と思って訪れたここブダペスト、気付いたら今日で7日目、今回の世界一周旅行での一箇所での滞在最長記録達成です。そんなハンガリー・ブダペストからいよいよ出発のときがきました。

お世話になったアンダンテホステルの部屋は昼の12時にチェックアウトしましたが、飛行機が夜のため荷物を預かってもらっていました。そんな出発までのひとときも、ホステルの共有スペースでパソコンを開いてブログや仕事をしたり、ガイドブックを読みあさったりと、相変わらず自由で快適な空間です。

そして夜の7時にいよいよホステルを発ちました。オーナーやスタッフの方々に見送られ、玄関を出たときにすこし淋しい気分になったのは、やはりこの宿がこれまでに無く快適で過ごしやすかったからでしょう。僕らがブダペストを大好きになって出発できるのは、やはりベースにあったこのホステルのおかげです。ブダペストに帰ってきたときは、また絶対にお世話になることと思います♪

空港まではもちろん今回も公共交通機関を乗り継いでいきます。ブダペストの空港まではとても簡単で安くいけるので、時間が許せば自力でいくことをおすすめできます。地下鉄ライン3で終点まで行き、空港バスに乗り換えるだけですので、日本円で500円程度でしょうか。

僕らの次の目的地は、ギリシャのアテネ。マレヴハンガリー航空MA230便の出発は夜の11時35分。ビジネスラウンジが使えるとのことなので早めに到着した僕らでしたが、どうやら夜はほとんど出発便が無いようで、空港は閑散としているのでした・・・。果たしてラウンジはオープンしているのか、出発まで時間をうまく過ごせるのか。

【53日目】その3 ブダペスト・フィリヘジ空港のビジネスラウンジ

ブダペスト

2008/05/06 その3

マレヴハンガリー航空MA230便アテネ行きに3時間前にチェックインした僕らは、空港での楽しみのひとつであるビジネスラウンジへと向かいます。ラウンジで好きな飲み物を飲みながら、本を読んだりネットをしたりと自由に過ごすことができる、これは世界一周航空券ビジネスクラスの大きなメリットです。空港に早く到着することがとても楽しみになります。

深夜のため、人がほとんどいない空港内をラウンジに向かって歩きます。そして、搭乗ゲートが並ぶ一番端っこに、マレヴ航空のビジネスラウンジはありました。しかし、外から見るかぎり明らかに狭いスペースです。もしや、あまり期待できないのでは・・・そう中へと入りました。

案の定、ラウンジの中は、テーブルが10~15個程度の小規模スペース。これまで見てきたビジネスラウンジと比べると、ダントツで最小です。さらに!もう出発便がほとんど無いので、中に乗客は誰一人いません。ラウンジにいるのは僕らふたりだけ。結局出発までの2時間あまり、誰も新たに入ってくることは無く、我が家のようにラウンジを占領するのでした。

ビール・お酒からソフトドリンク・コーヒーまではもちろん自由に飲めますし、スナック類も数種類。何より、自分のパソコンで無線LANを拾えたので僕としては評価上々です。

搭乗がはじまって、僕らがラウンジを後にした途端、受付にいた二人は「バイバイ★」と言ってラウンジの電気を消して帰っていきました。正真正銘、今日の最後の乗客である僕らだけが占拠したマレヴのビジネスラウンジでした。

【54日目】その1 23:35発⇒02:35着 そして・・・

マレブハンガリー航空機

2008/05/07 その1

マレヴハンガリー航空MA230便アテネ行きは、23:35にブダペストを発ち、時差1時間を加算して2時間後の午前02:35にアテネの空港に到着しました。12席あるビジネスクラス座席は僕らふたりだけで、二人だけのためにテーブルクロスが用意され、ちょっとした軽食も振舞われました。こんな時間だったので2時間フルに睡眠を・・・とも思っていたのですが、やはりせっかくのビジネスクラスですので楽しめるものは楽しんでしまおうということで、ちゃんと完食したのでした。

到着したアテネ空港は、午前3時前ですので予想通り閑散としています。バゲージクレームのエリアも、僕らのマレヴ便以外の乗客はいないようですし、到着ロビーに出ても、人の姿はチラホラ。早朝便のために空港のソファやベンチで熟睡している人が割といたのには驚きました。

さて、これからどうするか?夜中のアテネに繰り出すか、ここで夜が明けるまで時間をつぶすか・・・。

その答えは決まっていました。僕が一人旅をしていた8年前にアテネ空港でとったルートとほぼ同じ方法です。

【54日目】その2 アテネ空港スルーはこれで2度目

オリンピック航空機

2008/05/07 その2

8年前の夏に、スイスのチューリヒ空港からアテネ空港に到着しました。そのときは全く予定を決めずにアテネに降り立ち、「アテネ市内にはどうせまた戻ってくるのだから、このまま飛行機でどこか島へ飛んでしまえ!」と気軽に、空港のカウンターで一番すぐ出発する便の航空券を購入し、オリンピック航空機でクレタ島のイラクレオンへと飛びました。

今回の世界一周旅行で同じような旅程をとることになるとは!午前3時前に到着した僕らは、その日の一番早い便、午前5時30分出発のオリンピック航空便サントリーニ島行きのチケットを手配したのでした。空港で朝まで過ごしても疲れますし、どうせ今アテネに行ってもチェックインできる時間ではないのですから、それならどこか島に飛んでしまえ~ってことで目的地のひとつであるサントリーニ行きが決定したわけです。

8年前、まだギリシャの通貨が「ドラクマ」だったころは、オリンピック航空のチケットなんて7千円くらいで格安だったのに、通貨がユーロにかわって、やはり数倍の物価になっています・・・。

そんなわけで、空港で2時間ほど過ごしたのちに、オリンピック航空OA550便で僕らはアテネ空港からサントリーニ・ティラ空港まで一気に移動したのでした。到着したころには、ようやく空が明るくなってきました。

【54日目】その3 サントリーニが曇るなんて!

イアの街と猫

2008/05/07 その3

ギリシャのエーゲ海のイメージというと・・・。雲ひとつない青空に、真っ白な家が太陽の光をいっぱいに浴びながら美しく輝く姿がイメージできると思います。そのイメージをそのまま実現している島こそ、今降り立ったサントリーニ島です。それは8年前に来た時に実証済み。今回も、この青と白の光景を見たくてここにやってきました。

しかし、サントリーニ島の空港に降り立った瞬間からちょっと様子が違います。「ん、ちょっと曇っている?それに、肌寒い??」

前回来たのは9月、夏のバカンスシーズン真っ只中です。今回は、夏が今から始まろうとしている5月。季節はちょっと違いますが、それでも青い空と暑い太陽を期待していました。しかし、今日のサントリーニの天候は若干曇り、気温もそんなに高くないようです。サントリーニで曇りなんて体験したことが無かったために、そんなはずは無い!と思いながらも、今日の現実はイメージどおりではありませんでした。

宿に荷物を置いて、さっそくフィラの街を散策し、夕日が美しいイアの街へバスで移動です。「世界一夕日がきれいな場所」とも言われるイアは、エーゲ海の水平線にまんまるで大きな太陽がゆっくり沈む姿を見るために、毎日多くの観光客が訪れます。今日も、僕らだけでなくたくさんの人が夕日を期待しているようです。

しかし、今日はアウトでした。時折、日差しが差し込んでイアの白い街並みを美しく照らすことはありましたが、水平線に分厚くかかった雲が晴れることなく、太陽はだいぶ上の位置で雲に飲み込まれてしまいました。明日は晴れるのか?そしてサントリーニの夕日を見ることができるのか?もちろん、明日のこの時間も、この場所でチャレンジです。

【宿】サントリーニ(フィラ) San Giorgio Villa

San Giorgio Villa

San Giorgio Villa

ホステル予約サイトで非常に評価が高かったため、今回のサントリーニ滞在は中心地フィラのこのペンションを選びました。フィラのメインストリートにほぼ面しており、アクセスはバツグンで、部屋の目の前にはプールがあり、屋上にある眺めの良いテラスもゆっくりできます。

何よりオーナーのジョージ氏が、いつも旅行者のことを気にかけ、できる限りの情報を伝えてくれるのが心強いです。この人の人柄と優しさが、このペンションの高評価につながっていることが分かります。インターネット・無線LANなどの設備はありません。

事前にメールしておくと、空港や港への送迎は無料です。朝6時半の到着でしたが、ジョージ氏が笑顔で迎えにきてくれました。

バス・トイレ付きダブルルーム 1泊34ユーロ

2008/05/07-09 合計2泊

【55日目】その1 エーゲ海の青い空

イア

2008/05/08 その1

僕らが泊まっている部屋の窓からは、宿のプールが丸見えなのですが、朝起きてカーテンを開けてみるとプールに雨がぽつぽつ・・・。これは今日も同じように曇と雨が続いてしまうのか、朝からとても不安でした。雲ひとつ無い青空はいつ拝むことができるのか、午後には一気に晴れてくれることを願って、フィラの街を散策していました。もし、曇・雨が続くと今日もイアの夕日を諦めざるを得ません。夕日を見るまでは、島を出ることはできません!

昼ごろに一旦部屋に戻り、午後の予定を立てていました。雨が止まないと、どうしても行動範囲が狭まってしまいます。そんなときで、ふと窓の外から空を眺めてみると・・・。

さっきまで厚い雲がかかっていた空が、いつのまにか一面の青空。雲一つ無い、まさにエーゲ海・サントリーニ島の青空が姿を現していたのです。思いは通じたのでしょうか、さっそく準備を整えて、昨日のリベンジとばかりにイア行きのバスへ乗り込みました。

やはり、太陽を浴びているイアの街並みは絵になります。暖かい日差しを浴びている僕らも元気になります。昨日は暗かった街も元気を取り戻した様子。昨日より一段と多い観光客が世界一の夕日を見るために続々とイアに集まってきていました。

サントリーニの夕日との8年ぶりの再会はもうすぐです。

【55日目】その2 世界一のサンセット

サントリーニ島の夕日

2008/05/08 その2

夕方7時ごろには、夕日が見えるエリアは人でいっぱいになりました。僕らも、小さな教会の向こうに夕日が見えるだろう場所を確保し、その時間を今か今かと待ち続けていました。

そして、7時半から8時にかけてのサンセットタイムが始まりました。大きな太陽は、ゆっくりゆっくりと、水面へと近づいていきます。その様子を皆が息をひそめて見守ります。そのあたりは一時的な静寂が続きました。

太陽が水平線についてからは、そこからは一瞬の出来事です。あっというまに赤い太陽が海に飲み込まれていきます。そして最後のかけらが消えた瞬間、イアの街から大歓声と拍手が湧き上がりました。サントリーニの世界一の夕日はこれで完結。僕らもその瞬間に立ち会え、大満足でイアの街を後にするのでした。

フィラに戻ってすぐに、旅行代理店で明日のフェリーのチケットを購入。イアの夕日を堪能できたということで、この島の目的を達成。明日15時30分のフェリーで、次の目的地へと移動することにしました。ギリシャにいる間はこのように、その時々の判断で柔軟に移動していく予定です。

【56日目】サントリーニ島からフェリーで移動

サントリーニ港

2008/05/09

昨日のイアの夕日を大満喫した僕らは、サントリーニ島から次の目的地へと移動します。といっても、他の島へ転々とするわけではありません。フェリーでアテネのピレウス港へと向かいます。色々とルートを検討したのですが、次はアテネの街や歴史地区を堪能し、その後にまた船で移動をしようということになりました。

今日のサントリーニも快晴。きっと夕方にはすばらしい夕日がまた見られるんだと思います。フィラの街を最後に散策し、お気に入りのギリシャ料理でたっぷりランチを取り、フェリー内での食料をスーパーで調達し、サントリーニの港へと向かいました。これから約8時間の船旅を経てアテネに向かいます。

以前ここを訪れたときも、サントリーニからアテネまでフェリーで帰りましたので、まったく同じルートをたどることになります。しかし、前回は夜行便で、今日は昼便。本当は今日も夜行便があればよかったのですが、まだ真夏ではなく船の便数も多くないため、昼の15時半にサントリーニを出発して今日の夜遅くにアテネのピレウス港に到着することになりました。

ナクソス港

途中、ナクソス島やパロス島など、エーゲ海の島々にいくつか立ち寄りながらゆっくりと8時間かけてアテネへと向かいます。デッキから見ていると、どの島も小さくてコンパクトですが観光客の乗り降りも多く、たくさんの人が島を周遊しながらエーゲ海を楽しんでいるのが分かります。サントリーニ島などの観光地として名高い島ではなく、ちょっとマイナーな島を訪問してゆっくり時間を楽しむというのも選択肢のひとつにいいのかもしれません。ちょっと予定を検討中です・・・。

【宿】アテネ PLATON HOTEL プラトンホテル

プラトンホテル

プラトンホテル

アテネの港町ピレウスから地下鉄で一駅目のfaliro駅が最寄。サントリーニからのフェリーがピレウスに夜遅くつきますし、次の目的地もピレウスからフェリーで出かけますので、割と近めの宿を選びました。

アテネ中心部からやや離れているために宿泊代金は安いのですが、部屋は清潔でベッドも寝心地が最高。部屋に無線LANも飛んでいますのでパソコンも自由に使えます。期待以上の満足が得られたホテルでした。

ダブルルーム 1泊1室38ユーロ

2008/05/09-11合計2泊

【57日目】その1 懐かしのアテネを歩く

2008/05/10 その1

「あのATMでお金をおろしてこの旅行代理店で日本帰国のチケットを購入した!」
「このマクドで出発まで時間を潰していた!」
「あの2階のインターネットカフェに何度も通った!」
「ここの宿のドミトリー部屋に泊まった!」

学生のときに訪れたアテネの街にある記憶は、そのころと変わらず一瞬ですべてを思い出せるものでした。それくらいにコンパクトで歩きやすいのがアテネの中心部(シンタグマからプラカ地区)の特徴です。

しかし、大きく変わったことがあります。アテネの街が、整備が進んで非常にキレイになっているではありませんか・・・。もっとゴチャついていてウルサイ、というのが僕の中のアテネイメージだったのですが、やはり2004年のアテネオリンピックを境にして、この街も随所に近代化が見られました。地下鉄の駅も券売機や自動改札、エスカレーターも充実していました(写真左)。※かつてのアテネの詳細の記憶が定かではないので、当時からすべて整ってキレイだったのかもしれません。クレタ島の記憶とゴチャ混ぜになっているかも・・・。

また、僕にとって昔と違うことと言えば・・・。今回の旅ではレストランにも気軽に入ることができるということです。一人旅のときは、お金も無いですし、ひとりで入るのも変ですので、なかなかギリシャ料理のレストランというわけにはいかず、ギロピタなどの軽食で済ますことが多かったと記憶しているのですが、今なら堂々と二人でレストランで好きに食べられます。プラカ地区(写真右)にはギリシャ料理のレストランが無数にあります。アテネの暖かい日差しをいっぱいに浴びながら、ビールとグリークサラダで一休みする午後なんて最高です。

2回目ともなるとそんなに期待はしていなかったのですが、思った以上に明るく、キレイで歩きやすいアテネの街でした。

【57日目】その2 アテネ・パルテノン神殿再び

2008/05/10 その2

「1度見ているから、2回目はそんなに感動もないだろうな・・・」
アテネの最大の見所であるアクロポリスに行く前はこんな風に思っていました。

しかし、やはりパルテノン神殿は偉大だった!訪れてみると、直前までの気持ちなんてどこかに吹っ飛び、初めて見たときと同じくらいの大きな感動がありました。この絶対的な迫力は、ほかのどんな遺跡にも負けません。アクロポリス遺跡自体はそんなに広くはないエリアなのですが、このパルテノン神殿のまわりをゆっくりと歩いて回っていると、とてつもなく大きな場所に迷い込んでしまったかのように、長い時間を過ごしてしまいます。

また、何よりうれしかったのが、昨日からあさってまでの3日間、何かの記念日のためアクロポリス遺跡の入場料が何とフリー♪二人で24ユーロほどの出費を覚悟していた僕らにとっては、まさにアテネ様の恵みです。これで美味しいグリークサラダとムサカが食べられます。

ゼウス神殿

こちらはアクロポリス遺跡から徒歩10分くらいのところにあるゼウス神殿です。神殿自体はほとんど倒壊してあと数本の柱が残っているだけなのですが、その残り少ない柱と、倒れて粉々になった柱がわずかに残っている姿が、逆に歴史を感じさせます。こんなに近いのに、8年前にはゼウス神殿の敷地内にまで入った覚えがありませんが、今日はこちらも入場フリーなので存分に楽しむことができました。

はっきり言って、古代都市アテネと言っても、歴史地区を観光するのはこれくらいしかありません。半日あれば、かなりゆっくり見てまわることができるのがアテネです。アクロポリスさえしっかり楽しめば、あとはエーゲ海に繰り出したり、バスで半島や北のメテオラに向かうなど、周遊型の旅行がギリシャはぴったりのような気がします。

【58日目】アテネから長時間フェリーで移動

ブルースターフェリー

2008/05/11

アテネには2泊しましたが、到着が2日前の深夜だったので、アテネ市内をじっくり見てまわれたのは実質昨日1日だけでした。でもコンパクトな歴史都市アテネを巡るには十分な時間でした。そんなわけで、今日は早くも次の場所へと向かいます。

アテネの港ピレウスを15時に出発する大型フェリーの行き先は、エーゲ海南東部に浮かぶロドス島。ロドス騎士団、ヨハネ騎士団などの名前で知られる、トルコ国境に近い大き目の島です。歴史とリゾートとが両方楽しめると聞いています。僕が昔にギリシャに来た時は、いろんな事情でロドス島までたどり着くことができなかったため、ここからは僕も初めて経験するエリアになるのでワクワクします。

この大型フェリー「ディアゴロス号」は、15時にピレウスを出航後、5つほど小さな島に立ち寄って最後にロドス島に翌日午前9時に到着します。その行程なんと18時間。僕のこれまでの長距離移動船舶部門で2位となる長時間移動です。ちなみに1位は富山⇒ウラジオストク便「ルース号」で65時間ほど、3位はタスマニア⇒メルボルン「スピリットオブタスマニア号」で12時間ほどだったでしょうか(両方とも若干ズレあるかも)。

僕らのチケットは「デッキ」クラス、飛行機でいうエコノミークラスでしょうか。基本は、部屋(キャビン)も座席も与えられず外で過ごさなければいけないデッキ組です。でも、座席に空席があれば、適当に陣取って寝床を確保します。そうでないと、いくらエーゲ海といえども夜中の航海はあまりにも寒いのです。

幸いこの時期は、まだまだ観光客が少ないですので、このディアゴロス号も驚くほどの乗客の少なさ。指定席の座席はほぼゼロの乗客です。ですので、僕らデッキクラスの乗客が、適当に一人3シートくらい占領して夜は眠ることができるようになりました。

このフェリーには豪華なレストランやバーから、エコノミーなセルフサービスレストランまで、設備がかなり充実しています。もちろん僕らは後者を何度か利用して、おいしく安いギリシャ料理を船内で楽しむことができました。

フェリーから見た朝の風景

本を読んだり、パソコンで仕事やブログをしたり、トランプしたり、船内探検をしているうちに、時間は思ったより早く経っていくようです。シートでしっかり睡眠をとっていると、いつのまにか日付が変わり、夜が明ける時間になっていたのでした。

【59日目】その1 ロドスの気候と街並みは最高♪

ロドス新市街

2008/05/12 その1

フェリー「ディアゴロス号」は、コス島などエーゲ海の島々をいくつか転々とした後、定刻どおり朝9時過ぎに無事ロドス島の港へと到着しました。島に降り立って最初の感想は、「暑い!空が青い!」ということ。サントリーニ島に着いたときは曇り空でしたし、アテネを発つ日も雲が空を覆っていましたので、ロドスの雲一つないまさに「ギリシャらしい」青空に出迎えられるだけで、うれしい気持ちになります。

タクシーで宿まで移動し、荷物を置いて早速行動開始です。事前の予想では、フェリーでそんなに眠れずに宿で昼寝をしてからの行動かな・・・と思っていたのですが、空いていたフェリーのおかげで到着時点でも元気はじゅうぶんでした。

ロドス旧市街の城壁

ロドス島のロドスシティには、旧市街と新市街があります。旧市街は、世界遺産にも登録されている地域で、かつての騎士団がいたころの街並みがそのまま残されていて、すべてが城壁で今もなお囲まれているというのが印象的です。港から宿へ向かうタクシーの中でも、その城壁に沿った道を通っていました(写真)。

一方、新市街はホテルやレストランが立ち並ぶ近代的なエリアです。僕らの宿泊するホテルも新市街のビーチに面しています。サントリーニ島の中心地とはケタが違うくらい発展したエリアなのには驚きました。おしゃれなショップ、高級ブランドのショップが立ち並び、まさにリゾート都市という印象です。ハワイほどではないにせよ、同じような雰囲気を感じるエリアが数多くあります。

もっとゴチャついていて、アジアの雰囲気が漂っているのかなと勝手にイメージしていましたが、新市街に関してはいい意味で予想を裏切られました。シーズン(夏)前ということもあり、観光客がそれほど多くなくて歩きやすいというのも良いのかもしれません。

このあまりにも気持ちいい気候も手伝ってか、到着して2時間で僕ら二人とも、ロドス島が大のお気に入りになっていました。

【59日目】その2 世界遺産・ロドス島の旧市街

ロドス新市街

2008/05/12 その2

ロドス旧市街は、騎士団が拠点としていた当時のまま、全体が城壁に囲まれているエリアです。数箇所にある門を通って、新市街とは出入りができます。

門をくぐった瞬間、まさに時代が変わった印象を受けます。石畳の通りに、昔の建物をそのまま使用した住居やレストラン、商店。新しく作られた新市街の街並みとはあまりにも違っていて、そのギャップが興味深く思えます。エーゲ海の島のひとつの街の中に、旧市街と新市街があり、ここまで明確に区別されているのが面白いですね。

ロドス新市街

新市街ではレストランやホテルの数の割に観光客をそれほど見かけませんでしたが、こちら旧市街はさすが世界遺産です。この城壁の中は、想像以上の観光客で盛り上がっていました。レストランやカフェ、土産物屋も旧市街の中の方が格段に活気があります。

もうこれまで遺跡や古代都市はいろんなところで見てきたからもういいや・・・という気持ちになっていたとしても、ここロドスの旧市街は、また違った新しさを感じられる場所でした。

【宿】ロドス島 EUROPA HOTEL ヨーロッパホテル

ヨーロッパホテル・ロドス島

ヨーロッパホテル

ロドス島の新市街にある格安ホテル。フェリーが到着する港からはタクシーで約5分(5ユーロ)でした。ロドス旧市街へも徒歩15分でいけるという好立地です。なんと、6階の部屋からは海・ビーチが見える絶好の眺め。

部屋も広くて清潔にされています。また、ビュッフェ形式の朝食は朝からお腹がパンパンになってしまうくらい豊富に充実しています。ここまでの旅で一番の朝食と言えるでしょう。この価格でこの快適さ、予定を延長して滞在することになりそうです。

ツインルーム 朝食付き 1泊1室30ユーロ

2008/05/12-15合計3泊

【60日目】ロドス島リンドス

リンドス

2008/05/13 

ロドス島は、この前に訪れたサントリーニ島とは比べ物にならないくらい大きな島です。エーゲ海最大のクレタ島には叶いませんが、それに次ぐ大きさですので、見どころは昨日散策したロドス新市街・旧市街だけではありません。特に、古代遺跡は代表的なものが3箇所にあり、また、ロドスシティ以上の澄んだ海・ビーチは島内随所にあるとのことです。その中でも、古代遺跡もビーチも両方楽しめるというリンドスへと出かけてみることにしました。

ロドスシティの小さなバスターミナルから、30分~1時間ごとにリンドス行きのバスは運行されていました。乗客は少ないのかなと思いきや、どこからともなく観光客が現れていつのまにやら満席に近くなっていました。やはりロドスシティ以外の郊外に出かけるとしたら、まずこのリンドスを押さえておくという人が多いのでしょう。

左に真っ青な海、右にはロドスの田園風景を臨みながらバスは1時間でリンドスのバスターミナルに到着します。途中、左側の高い位置にアクロポリス遺跡、そして白い壁の街並み、さらに真っ青なビーチが見えたときは、アテネやサントリーニに良いところを凝縮した風景に思えてただただ感激でした。

リンドス

ビーチに下りてみると、日光浴している人でいっぱい。こんなにリンドスまで来る人がいるのかと驚いたほど、ビーチには人がたくさんいます。でもまだちょっとシーズン前で海は冷たいのか、実際に全身を浸けて泳いでいる人はほとんどいません。僕らも遠浅の透き通ったビーチを膝まで海に浸けて歩きましたが、やはり冷たい。でもこの強い日差しの下では最高の気持ちよさです。

今回の世界一周旅行では、ビーチや海に触れる機会というのはそれほど多くなさそうです。ですので、こうしてエーゲ海の海辺でのんびり日光浴をするという時間がとても貴重で、贅沢に感じられた1日でした。

【61日目】休息日+出国チケット入手

港

2008/05/14 

ロドス島の宿は最初は2泊しか予約を取っていなかったので、本当なら今日にでも次の地へ向かう予定でした。しかし、ロドス島に到着した瞬間に僕らふたりとも、非常に気に入ってしまいましたので、今日は1日延泊して、出発は明日にすることにしました。

ロドスシティ、そして郊外の散策もある程度終わったので、今日は旅の途中のオフです。パソコンですべきことを進めたり、写真等のバックアップCDを日本へ送ったり、一気に洗濯を片付けたりと、意外とやることはたくさんあります。旅の途中にこういう日をつくるのはとても大切なのです。

また、市内の旅行代理店に行って、次の地へと渡るためのフェリーのチケットを購入しました。アテネからロドス島に来て、さらにロドス島からフェリーで進んでいく場所は、あちらの方面しかありません。念願のエーゲ海航海での国境越えは明日の朝です。いよいよ10カ国目、トルコが近づいてきました。

【62日目】その2 ロドス島から海路で10カ国目トルコに入国

ロドス島

2008/05/15 その1

いよいよお気に入りのロドス島を発つ日がやってきました。昨日買った出国チケットは、ロドス島からトルコの港町マルマリスまでのスピードボートです。船で国境を越えるのは、富山⇒ウラジオストク以来でしょうか、この地中海の国境越えは憧れのルートのひとつだったので、ようやくその時が来た!という感じです。

朝8時の出航を前に、ロドス港の端にあるイミグレーションオフィスは賑わっていました。意外と多くの人がこのルートで国境を超えていくようです。(と思いきや、日帰りのツアー客が多かったみたいです)

僕らのパスポートチェックだけ、なぜか他の乗客より時間がかかっていました。よく見てみると、どうやら入国情報をペラペラ探している様子。EU間は入出国手続きは特に無いため、僕らの場合は最初に入ったローマ・フィウミチーノ空港がEUへの入国スタンプになります。それを見つけて、「おぉ、フィウミチーノ」と一言だけ発した係員にスタンプをもらって、無事ギリシャ出国手続きが終わりました。

今日はハイスピード・ボート。フェリーとは違って小型ですがスピードが出る分、ロドス島からマルマリスまで1時間で結びます。予想通りフェリーの数倍揺れるので気持ち悪くなりましたが、対岸のトルコが近づいてくるたびに、ワクワクした気持ちが増してきます。ほどなくして、10カ国目・トルコのマルマリス港へと船は到着したのでした。

マルマリス港

マルマリス港からは、目の前にいたタクシーのおっさんに、市内中心部まで連れて行ってもらい、そこでゆっくりとブランチタイム。そして荷物を転がしながら歩いていると、バス会社が集まっている一角に出ました。そこでまた別のおっさんが、「デニズリ!パムッカレ!」と連呼しているではありませんか。

このマルマリスはあくまでもトルコ入国の地というだけで、特に観光・宿泊の予定はありませんでした。できるだけ早く、次の目的地である世界遺産・パムッカレに向かいたいと思っていました。そんなときに、あと10分で出発する長距離バス会社からお声がかかりましたので、迷わずチケット購入。すぐにバス会社のミニバスに乗せられ、マルマリスの大きなバスターミナルへ無料で移動。そこから大型バスに乗り込み、パムッカレの拠点であるデニズリまで約5時間のバス移動が始まるのでした。

ゆっくり息つく暇もなく、トルコ入国からめまぐるしく、でも順調に事が動いています。

【62日目】その2 パムッカレ村に到着

パムッカレ入口

2008/05/15 その2

マルマリスからデニズリまでの5時間のバス旅は快適。トルコは何と言ってもバス大国です。無数の長距離バス会社が、いろんな都市を隈なく結んでおり、大抵のアクセスはバスで可能です。ドリンクやスナックサービスもあり、座席も居心地良し。この久々の感触を楽しみながら、デニズリへは午後3時ごろに到着。

到着して一歩外に出たら、次は「パムッカレ!ミニバス、パムッカレ!」という声がかかり、ここからドルムシュという乗り合いバスでギュウギュウになりながらパムッカレ村を目指しました。約30分で「ここがパムッカレだ」と降ろされた場所は、ポツポツと店があるくらいの寂れた田舎町。これが本当にパムッカレなのか・・・?世界遺産の見どころなのでもっと盛り上がっているのでは・・・?そう思いましたが、間違いなくパムッカレです。バスでの移動中に携帯メールで問合せしていたホテルはバス降り場の目の前でしたので、さっそくチェックインして行動開始です。

次の移動は明日の夜行バスを予定しているので、明日は丸一日パムッカレ観光に費やせます。しかし、せっかく目の前に入口がありますので、そのさわりだけでも体験したいと思い、入ってみることにしました。この村では他に特に見どころやすべきことは無さそうなので・・・。

入口から一面の真っ白な石灰棚。靴を脱いで裸足でひたすら登っていくとは知らず、思った以上のスリリングさです。透明な水がさらさらと上の方から流れている中を歩いて上がっていくのは面白い経験になりました。登りきったところから、広大なヒエラポリス遺跡の本番がはじまるのですが、今日はここまでにして戻ることにしました。

【宿】パムッカレ ARTEMIS YORUK HOTEL

パムッカレ

アルテミスジョルクホテル

パムッカレ村にある数少ないホテルのひとつ。パムッカレのミニバス停留所の目の前にあるので迷わず見つけられます。世界遺産エリアの石灰棚やヒエラポリスの入口までも徒歩5分でアクセスできますので観光に大変便利な立地です。

部屋で無線LAN接続ができるのは快適。ただ、たまたまこの日は団体が宿泊しており超満室だったようで、ソーラーシステムで稼動しているホットシャワーが夜から朝方まで機能していませんでした。宿泊客が少ないパムッカレ村とはいえ、満室になったときに対応できていないのは残念です。その他の点については、何の問題もなく快適に過ごせます。

ダブルルーム 朝食付き 1泊1室40トルコリラ

【63日目】その1 世界遺産パムッカレ・ヒエラポリス遺跡

パムッカレ

2008/05/16 その1

昨日のような空一面を覆い隠した雲の存在は今日は朝からまったくありません。世界遺産パムッカレを訪問する絶好の天候となりました。

1泊だけの宿泊だったホテルをチェックアウトし、近くのバス会社の出張所で今晩のイスタンブール行きの夜行バスチケットを購入。これで次の目的地までの足も確保できました。そしていよいよ一面の銀世界へと出かけました。

やはり太陽の強い光を浴びたパムッカレ石灰棚の輝きは昨日のものとは一味違います。太陽もまぶしければ、地面もまぶしい。サングラス無しではとても歩いていくことはできません。石灰棚部分では例のごとく靴を脱いで裸足で清流の中を20分ほどゆっくりあがっていきます。最上部に到着した向こう側には、さらに遠くまで広がるきれいな石灰棚が広がっていました。

確かに昔のガイドブックにあるような、並々と水が流れる温泉地域というには程遠く、多くの石灰棚は水が枯れていますが、それでも初めてここにきた僕らにとっては何も不満を感じることなく、むしろこの白く続く石灰石とその向こう側の広々とした景色を存分に楽しんでいました。

ヒエラポリス遺跡

また、石灰棚の区域とは比べ物にならない広さを誇るヒエラポリス遺跡も大きな見どころです。すでに様々な遺跡を見てきた僕らにとっては、こちらはあまり期待をしていなかったのが正直なところなのですが、実際のところ、このヒエラポリスは歩けば歩くほど興味深い遺跡が当時のまま残されていることが多く、期待以上に満喫できるエリアでした。

観光客のほとんどはパムッカレ石灰棚や遺跡内にあるプールに集中しているようで、広い遺跡の端々まで歩き回っている人はそれほど多くありませんでした。そのため、マチュピチュやポンペイ、アテネのアクロポリスなどと違い、僕らだけで占領できることが多く、これまでで一番のんびりゆったりと観光できた遺跡でした。

パムッカレの入口から石灰棚を登り、ヒエラポリス遺跡を一周ゆっくりまわり、また入口まで戻るのに約3時間。パムッカレ村にいた日本語堪能のトルコ人が言っていました。「最近は、多くのツアー会社はパムッカレに泊まらずに3時間だけ観光してすぐに次にいってしまうので悲しい・・・」と。なるほど、この世界遺産地域だけを観光するのなら、それだけでじゅうぶんかもしれません。でも僕らの場合は、ゆったりゆとりを持っての移動でしたので、1泊しての観光は良かったかなと思います。

【63日目】その2 イスタンブール行き夜行バス

利用したバス

2008/05/16 その2

ここパムッカレ村から次の目的地イスタンブールまでは、夜行バスで約11時間の長距離移動です。デニズリ20:00発のバスに乗るために、1時間前にパムッカレ村のバス乗場からミニバスでデニズリまで移動。このバス代金はバス会社の方が払ってくれました。

トルコの長距離バスは、運転手とは別の乗務員がいつも乗客のことを気にかけてくれています。出発してすぐに飲み物(コーラやチャイなど)とお菓子が配られます。その後も欲しいときにお菓子や水はもらえます。日本にはなかなか無いサービスですね。

車内にトイレなどの設備はありませんが、頻繁に途中の町のターミナルやサービスエリアに停まりますので、その点は問題ありません。ただ、何分そこに停まって、いつ出発するのかは、いつも注意していないと大変です。休憩所を出発するときに、乗客の人数を数えないときもありますので・・・。

夜ご飯に、と買い込んであった簡単な食材に手をつけることなく、気がついたら快適なバスに揺られてしっかりと睡眠できていたようでした。でも停留所のたびに起きてしまうのですが。

イスタンブールへの到着経験はこれで4度目ですが意外にもバスでの到着は初めて。イスタンブールのバスターミナルはガイドブックによると2つ。そのうち、1つめのほうで降りると、僕らが向かおうとしているスルタンアフメット地区には近いようです。しかし、朝7時に気付いたときには、もう全員の乗客が降りようとしているのです。やはりそこは終着点であるエセンレル・オトガルでした。いつのまに通り過ぎたのか?寝ていたのか?よくわかりませんが、ここからホテルへと向かうことになりました。

タクシーや旅行会社の大勢の客引きを無視しながら地下鉄駅へ。そこから街中にでて路面電車に乗り換え。思ったよりすべてがスムーズに流れていき、スルタンアフメット駅に到着。久しぶりに帰ってきた懐かしさに浸りながらブルーモスクの横を過ぎ、石畳の上でキャリーバッグを転がしながらホテルへ。

7年前に来た時は、スルタンアフメット地区を歩いていると無数の客引きが日本語を駆使して迫ってきました。今回も同じようなことを覚悟していたのですが、何と駅からホテルまでその類のものは一切無し。昔と比べて規制が加わったのか、人々の生活が変わってきたのか、拍子抜けしてしまいます。

【宿】イスタンブール Otel Buhara ブハラホテル

ブハラホテル

ブハラホテル

スルタンアフメット駅周辺のごちゃごちゃしたエリアから少し離れた場所にあるプチホテル。ここのテラスで食べる朝食は最高に眺めが良いのでおすすめできます。

シャワールームや洗面台は使いづらく、部屋の掃除やタイル交換は無し。自分のPCが悪いのか、無線LANもうまくつながらなかったため、最初に予約しておいた2日でチェックアウトすることにしました。この辺りのプチホテルの中では価格はまだ手ごろなほうですし、絶対にNGという訳ではありません。

2泊して近くの宿に移動。

ダブルルーム 朝食付き 1泊1室40ユーロ

2008/05/17-19 合計2泊

【64日目】その1 イスタンブール歴史地区

ブルーモスク

2008/05/17 その1

イスタンブールは真夏のような日差しと暖かさ。最近は天候にめぐまれることが多くうれしいかぎりです。

現在宿泊しているスルタンアフメット地区は、世界遺産にも登録されているイスタンブール歴史地区で、有名なブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿などの見どころが集中しています。観光客の数も半端なく、渋谷や新宿のようにまっすぐ歩くことが困難なほどです。

まずは初日ということで、この歴史地区を久々に散策。やはり名物ブルーモスクとアヤソフィアの両方を訪れてみました。前に来た時と街並みの明るさは変わったように感じるけれど、やはりこういった歴史的建造物はいつ来ても何も変わることなく出迎えてくれるようです。どちらも、すぐに以前の記憶がよみがえってきました。写真もいっぱいとったのですが、今日も同じように色々な角度で様々な表情の寺院を撮りながら楽しんでいました。

スルタンアフメット地区からガラタ橋のあるエミノニュ地区まで、懐かしい通りを行きながら、久々のこの活気をゆっくりと楽しんだ一日でした。

【65日目】サバサンドが高い!

サバサンド

2008/05/18

イスタンブールの名物のひとつといえば、ガラタ橋の旧市街側で売られている「サバサンド」です。このあたりを通る観光客のほとんどが一度は試したことがあるのではないでしょうか。

7年前に来た時も、もちろんガラタ橋を見ながらサバサンドをパクついていた記憶があります。ひとつの価格は当時の物価で100~150円だったような。とても安いのにボリュームがあるのでランチには最適でした。

今日はガラタ橋を通りましたので、さっそくサバサンド売りスタンドで購入。なんと価格は4トルコリラ(約350円)もするではありませんか。2リラくらいで買えるものと思っていましたが、経済の状況がすっかり変わったイスタンブールです、昔の物価感覚ではとても街を歩けないとあらためて実感しました。

まだまだ公共交通機関などは安く済ませられますが、ホテル代・食事代・観光代など、物価はグングン上昇中。思ったよりも予算を高めてのぞまなければいけません。徐々にヨーロッパ諸国と同じ水準になっていくのではないかと思ってしまいます。

【66日目】グランドバザール

バザール

2008/05/19

スルタンアフメット地区から徒歩ですぐの場所にある、超・巨大ショッピングセンターがグランドバザールです。なんと4500軒ほどの店がぎゅうぎゅうになって立ち並んでいる様子は圧巻です。観光客でどの時間帯も溢れかえり、どの店の前を通っても日本語を駆使して必死に声をかけてくるので歩きづらいことこの上なし。

エミがチャイセットのお店で必死の交渉を試みましたが、やはりこのバザールでの販売価格は観光客プライス。いくら下げても、地元民が買うような相場までは下がりません。結局、繁華街から少し離れたローカルな雑貨屋で、グランドバザールの3分の1くらいの価格でチャイセットを購入。バザールの価格の恐ろしさを感じました・・・。

昔ここに来たとき、小さな商店のオヤジとチャイを飲みながら、一つのバックギャモンセットを購入するのに1時間以上粘って(会話を楽しみながら)交渉していたことを懐かしく思い出しました。

【宿】イスタンブール Hotel Antique アンティークホテル

アンティークホテル

アンティークホテル

ブハラホテルの裏の通りにあるプチホテル。設備やスタッフの人柄が良かったため、部屋のチェックやネット接続の状況を見せてもらってからこちらに移動してきました。

部屋は広くないですが、緑と花が見える窓から日差しがあり明るい雰囲気。屋上テラスではこちらでもマルマラ海を見ながら朝食をとることができます。イスタンブールおすすめの宿。

ダブルルーム 朝食付き 1泊1室45ユーロ

2008/05/19-21 合計2泊

【67日目】国際小包&次便の予約

航空券

2008/05/20

2度目の日本への国際小包発送。トルコまでのガイドブックや本、一部残っていた冬服やほとんど着ない服、各種入場券や記念品、みやげ物などを一気に詰め込んで船便で送りました。7キロほどで65トルコリラ。むぅ、高い!

これでバッグが少し軽くなりましたので、明日の移動からは結構楽になるかなと思います。2度の小包送付と、別送で写真を焼いたCDをこれまで2度送付。あと1度くらい写真CDはどこからか送ることになりそうです。

また、今日は明日予定している次のフライトの予約手続きをロイヤルヨルダン航空に電話。すると、「紙のオープンチケットをFAXするか持ってこい」とのこと、オフィスは新市街にあるため遠く、結局デジカメでオープンチケットの写真を撮ってメールで送ってみました。その後電話してみると、担当の方は笑っていましたが、なんとかチケットは見れた様子でした。

「チケットのチェックと手続きが終わったらホテルに電話するからヨロシク!」と爽快に電話を切られてしまいましたが、今日は結局電話は無かったようです。うーん、ちゃんと予約が取れているのかどうか。もうオフィスの営業時間も終わってしまったので、明日のフライトに合わせて空港に行ってしまうしかありません。予約が取れていればOKですし、取れていなければその場で取る。何とかなるだろうと気軽に、明日のエアポートシャトルバスの予約を入れたのでした。さてどうなることやら。

【68日目】その1 イスタンブール・アタテュルク国際空港ミレニアムラウンジ

ラウンジ

2008/05/21 その1

結局、ロイヤルヨルダン航空から予約が取れたかどうかの回答は無く、当日の朝を迎えました。シャトルバスの予約は入れていたので、このまま空港に向かっていいのですが、念のため電話で予約状況を確認することにしました。

電話に出たのは昨日と同じ担当者。「オー、オープンチケットの件だね。予約を試みたけど、Dクラス(僕らのチケット)はあいにく満席で取れなかったよ。5月末までDクラスはずっと満席だね。でも、今日の便は空港に行って一度チャレンジしてみてね」とのこと。予約が取れていないことが確定してしまいました。

世界一周航空券のビジネスクラスは、普通に売られているビジネスクラスよりも予約クラスが下のため、普通運賃に空席があった場合でも予約ができないことがあるようです。もしかしてこのケースのことかも・・・。ということで、可能性を諦めずに空港へと向かいました。

フライトの3時間前に到着し、どうやらチェックインカウンターに一番乗りに到着。そしてオープンチケットを見せて、「電話で予約無理と言われたけど、チャレンジしろって言われたので来ました」とお願い。すると、担当二人でフニャフニャ話し、本部にも電話し、そして気付いたときには荷物に貼り付けるタグが印刷されて出てきていました。どうやら僕らの席は確保できたようです♪チャレンジすれば何とかなるものです。

これで安心して次の目的地ヨルダンの首都アンマンへと飛ぶことができます。ビジネスクラスラウンジの招待状を握り締めて、出発ロビー2階にあるミレニアムラウンジで出発までの時間をゆっくり過ごすことにしました。

このラウンジ、なかなか良かったです。天井から光が差し込む明るい空間に、ゆったりできるソファーやテーブルがたくさん並んでいます。他のラウンジの軽食はスナック程度がほとんどでしたが、ここはパン・サラダ・ホットフード(ソーセージやフライドポテト)など、しっかり一食分を食べることも可能な充実度。もちろん、ビールなどのアルコール類も充実していました。

無線LANも拾えますので、パソコンも自由に楽しめます。今日のフライトが利用できるか不安だったためアンマンの宿については全く決めていなかったので、ネットで色々とヨルダン情報を検索。結局、宿についてはその場でどこか見つけようということで、珍しく予約無しで現地に到着することになりました。

ロイヤルヨルダン航空RJ166便アンマン行きは、まもなく搭乗開始です。

【68日目】その2 ロイヤルヨルダン航空便で首都アンマンに到着

Royal Jordan

2008/05/21 その2

ロイヤルヨルダン航空RJ166便はイスタンブールを午後2時半に発ち、たった2時間でアンマンに到着します。ビジネスクラスの座席を見回してみると、12席のうち11席が埋まっている様子。僕らは本当にギリギリで座席をゲットできたようです。危ない危ない・・・。

短いフライトですが、さすがはビジネスクラス。しっかりテーブルクロスが敷かれて、コースのランチが始まりました。前菜には海老やチキン、メインはラムのケバブ。白ワインとともに今回もとても美味しくいただきました。ゆっくり食事していると1時間くらいはすぐに経過しますので、フライトのほとんどの時間は飲食を楽しんでいました。

眼下には、気付いたらレバノン・シリアを越えてヨルダンの荒涼とした大地が広がっています。サラサラではなく、ごつごつとした砂漠は、少し色が違いますがオーストラリアを思い出すような風景です。

ヨルダンという国はどんなところなのか、人々はどんな暖かさで出迎えてくれるのか。砂漠のど真ん中に突如現れた、クィーンアリア国際空港に定刻どおりに到着し、ここからヨルダンの旅が始まるのでした。

【68日目】その3 アンマン到着+最新のガイドブックが欲しい!

ヨルダン

2008/05/21 その3

ヨルダンのクィーンアリア国際空港で入国手続き。ブックオフで100円で購入した03年版のガイドブックには、空港でビザが無料で取得できるとのこと。ふむふむ、ビザ取得のカウンターに並べばいいのだな、とビザカウンターへ。僕らの順番が回ってきたのでパスポートを差し出すと、「ノー!ジャパン、ノービザ!」と一言。むぅ、今は日本はヨルダン入国にはビザが必要なくなっていたようです。

あっさりと入国審査を済まし、とりあえず空港バスで市内へ。この古いガイドブックによると、空港バスはアブダリというバスターミナルに到着し、その周りにはホテルがいくつかあるとのこと。ふむふむ、そのあたりでホテルが見つかりそうだな、とバスに揺られていました。

そしてバスターミナルらしき終点に到着。でも、周りには何もない、ただの広いバスターミナルという感じ。ここはアブダリじゃないの?寄ってきたタクシーの運転手に聞いてみると、「アブダリ?フィニッシュ!」とのこと。アブダリターミナル自体が利用されなくなったのか、空港バスの終着点が変わっただけなのか分かりませんが、ここが思ってもみなかった場所であるというのは確かなようです。

ガイドブックはやはり最新のものを用意しましょう。古いものでも地図は変わらないけれど、細かな情報の信憑性は著しく低くなってしまいます。

さて、今、頼れるのは、目の前にいる運転手ただひとり。この人を信じていくしかありません。とりあえずダウンタウン方面に乗せてもらうことにして、いくつか知っているというホテルも見せてもらうことにしました。

ダウンタウンまでは車で15分以上かかったでしょうか。このタクシーに乗って正解でした。逃してしまうと途方にくれてまずかったかもしれません。

最初に連れていってもらったのは、ダウンタウンの高台にある3つ星ホテル。さすがに外観もロビーもきらびやかです。でも高そう。値段を聞いてみると、1泊が50ディナール(8000円近く)もするようです。3泊するといっても、そんなに安くなる様子は無く断念。次の場所へ向かいました。

次は、ダウンタウンのゴチャゴチャしたエリアにある1つ星のパレスホテル。ここはまず部屋を見せてもらってその広さと清潔さを確認。部屋は気に入ったので価格をたずねてみると、3泊なら1泊で24ディナール(4000円弱?)とのこと。ヨルダンの物価からするとまだまだ安いところはありそうですが、せっかく良いところを見つけたので即決。無事、アンマンの滞在先が決まりました。良いところをしっている運転手で助かりました。

クリフホテル前

今日は飛行機での移動でしたので、到着後は無理せず、ダウンタウン近辺を軽く歩き、安食堂でご飯を食べて終了。途中、あの「クリフホテル」の横を通り過ぎたき、イラクとイスラエルに挟まれた中東のこんな遠くまで来たんだということをあらためて実感するのでした。

【宿】アンマン PALACE HOTEL パレスホテル

パレスホテル

パレスホテル

アンマンのダウンタウン中心部にある一つ星ホテル。市内の見どころをまわるにはとても便利な位置にあります。

フロントのスタッフは気さくで明るく、部屋も広くて快適。ホットシャワーも問題なし。朝食もついていますし、ネット用のパソコンもロビーにあります。無線LANは拾えなさそうです。

朝食をとる広いロビーのテレビでは、アルジャジーラが一日中ついているようです。

ツインルーム 朝食付き 1泊1室24ヨルダンディナール

2008/05/21-24 合計3泊

【69日目】死海 Dead Sea

死海

2008/05/22

ヨルダン観光の目玉はいくつかありますが、見逃せないのはやはり「死海」です。教科書でいつか見た、あのプカプカ海に浮きながら新聞を読む姿、これを実現せずには帰れません。

ヨルダン西部、イスラエル国境線にある死海へのアクセスは、一般バスを乗り継いでいくか、タクシーをチャーターするか。僕らは快適さとスピードを重視し、宿に運転手を手配してもらいました。1時間かけて死海に行き、そこで3時間自由時間があって、その後1時間かけて帰ってくるという行程です。

死海

朝10時に宿を出発し、死海へ向かいます。途中からは荒涼とした砂漠の中をどんどん下向きに下っていきます。死海は海抜マイナス400m弱の場所にあるから、あれだけ塩分が濃く、身体が浮いてしまうわけです。

途中、イスラエルとの国境近くを通る際に、2度のパスポートチェックがあります。僕らが行く死海のビーチ自体はヨルダン側なのですが、すぐ対岸がイスラエルという緊張したエリアだけに、警備もかなり厳重な様子が伺えます。日本のパスポートを出すと、ほぼノーチェックでスルーでしたけど。

到着したアンマンビーチは、政府公認の唯一のパブリックビーチ。ホテルが所有するプライベートビーチを除いては、ここしか死海に入れる場所はありません。それくらい、国境近辺は厳しく管理されているようです。

死海

入場料を払って中に入るとそこは一気にオアシス・リゾートという雰囲気。大きなスイミングプールやレストランがあり、そこから階段で降りていったところに、死海のビーチがあります。僕らも着替えてさっそく死海へと足を踏み入れることにしました。

イメージでは、塩の結晶がビーチに固まって、水もドロドロしていて・・・。でも実際に来てみると全然違いました。真っ青な海が一面に広がっていて、普通のきれいな海という感じ。ここが死海だと言われなければ、まったく分からないくらいです。しかしやはりここは死海です。水面にプカプカ人が浮きながら遊んでいるのが見えます。「よし、浮きに行くぞ!」と僕らも足を踏み入れました。水温は割と高く、ぬるま湯のようです。

身体の力をフワっと抜いて委ねてみると・・・、オォ簡単に浮く!

死海

50センチほどの浅瀬でも、力を抜いて横たわれば、水面にふわふわと浮くことができます。もちろん、新聞や本を読むポーズだって簡単。僕も、「地球の歩き方」を読んでいる様子を記念撮影。あまりにも簡単に浮けることが面白く、自由に泳ぎまわって遊んでいました。

塩分濃度がかなり高いため、長時間泳いでいることは良くないようですが、何度もシャワーを浴びては、また浮きにいく。その繰り返しだけで死海を大満喫できます。死海に入ったり、上のプールで泳いだりしていると、あっという間に3時間は経過し、アンマンに戻る時間になりました。普段しないことをしたので、体はとても疲れているようです。3時間くらいでちょうど良かったのかもしれません。

死海はかなりオススメです。なかなか遠くて日本から来るのは大変な場所ですが、その価値はじゅうぶんに感じました。期待以上の面白さだった死海を後にして、まだ日差しが強い3時半にはアンマンに戻ってきたのでした。

【70日目】アンマン市内散策

アンマン

2008/05/23

アンマン滞在3日目にしてようやく、市内をゆっくり歩いて散策です。

とは言っても、これまで旅してきた各国の首都と比べて、見どころはそれほど多くありません。宿のあるダウンタウンから西に歩いて10分ほどのところにあるローマ劇場(左)や、そこから15分ほど坂道・階段をのぼったところにあるアンマン城(右)あたりは、ちらほらと観光客の姿も見えました。日本からのツアーも一組いたのには驚きました。ペトラや死海などが組み込まれたヨルダンツアーでしょうか。

タクシーでアラブの高級住宅街にある大型スーパーに寄って買い物したり、二人で飲み物もつけて700円ほどでかなりお腹一杯になるような地元民が行くような大衆食堂に潜入したりと、大きな移動も無い「オフ」の一日をゆったりと過ごすことができました。

アンマン

夕方になると、またもやアンマン城の近くまでのぼり、アンマン市内が一望できるスポットで夕日が沈むのをゆっくりと眺めるのでした。

「どういう街?」と言われても、なかなかつかみどころのないアンマンではありますが、親切な人が多く、「心のゆとり」が首都でさえ感じられる印象です。明日朝は、アンマンを発って南へ南へと進みます。

【71日目】その1 乗合バスでワディムーサへ&悪人タクシー登場

セルビス

2008/05/24 その1

朝早くから行動開始。今日はアンマンのワヘダッドバスターミナルから乗合バス「セルビス」で世界遺産ぺトラの基点ワディムーサへと向かいます。

さっそく朝からトラブル発生。宿からターミナルへはタクシーを利用したのですが、到着したときのメーターは「1200」、これは「1ディナール、200フィルス」を意味します。荷物もあったのでチップ混みで2ディナール渡そうと思ったら、無愛想な運転手は「ノー!ノー!12ディナール!」と言ってきました。

明らかに旅行者を狙った詐欺行為です。僕らは昨日、何度かタクシーを使っていますのでメーターの見方は分かっています。運転手が騙そうとしていることが100%確信できましたので、こちらも「そんなものは払わない」の一点張り。運転手も意外とひきません。「12を払え!」と意地でも取ろうとしている様子。

仕方が無いので、近くにいる別のタクシードライバーを2人ほど捕まえて、その場所に運転手を連れて行こうとしました。すると、バレるのを恐れたか「3ディナールでいい!」と大幅割引・・・。でももちろん3ディナールなんて払う気はありませんので、英語の喋れる別の運転手に事情を説明したところ、「ダウンタウンからここまでだろ?荷物含めて2ディナールでじゅうぶんよ」と僕らサイドに立ってくれました。

悪徳運転手にポイっと2ディナールを渡して終了しましたが、朝から面倒なトラブルで時間を費やしてしまいました。せっかく、温和で人のいいヨルダン人というイメージでここまできていたのに、残念です。

助けてくれた運転手に礼を言い、ワディムーサ行きの乗合バスを探します。すると、遠くに「ぺトラ!ペトラ!」と叫んでいるおじさん発見。どうやら僕らのことを見つけて、手招きしてくれています。それも「早く急げ!」という感じで。僕らもコロコロとバッグを転がしながら大急ぎでバスに到着。乗合バス「セルビス」は、満席になったら出発するという仕組みで、逆に言うと、満席になるまでは出発しないのです。僕らが最後の2人の乗客だったらしく、最後列に2人で着席し、すぐにバスは出発しました。ギリギリでしたがかなりラッキーです。タクシートラブルでもっと時間がかかっていたら、もしかしたらこの便はミスしていたかもしれません。

ヨルダンの高速道路は整備がきちんとされているので快適です。セルビスは猛スピードで一路砂漠の中を南へと進みます。途中、15分ほどの休憩を挟んで、予定通り3時間半でワディムーサの中心部へと到着。あんなボロボロのバスでも、快適にハイスピードでとても安く都市間を運んでくれるので、ヨルダンの長距離セルビスはとても重宝しますね。

とくに宿も決めていなかったので、最初に部屋を見せてもらったオリエントゲートホテルにチェックイン。朝アンマンを発ち、もう午後1時には部屋で荷物を降ろしていました。

今日の午後と明日1日かけて、ワディムーサ・ペトラのエリアをゆっくりと散策できればと思っています。

【宿】ワディムーサ Orient Gate Hotel オリエントゲートホテル

ワディムーサの宿

ぺトラ観光の拠点ワディムーサの中心部にある安ホテル。

広い部屋にはテーブルもあって、窓もたくさん。バルコニーからはワディムーサの街が眺められます。滞在日数に応じたぺトラ周辺の観光プランを最初に一緒に考えてくれるので助かりました。

ツインルーム 朝食付き 1泊1室27.5ヨルダンディナール

2008/05/24-26 合計2泊

【71日目】その2 ペトラの前に、リトルペトラ

リトルペトラ

2008/05/24 その2

世界遺産のペトラ遺跡から車で10分ほど北にいったところに、リトルペトラと言われている場所があります。今日はペトラ自体には行かず、車をチャーターしてこちらのリトルペトラを訪問してみることにしました。

まず面白いのが、そこまでの道のりです。リトルペトラに向かう道の左側には、ずっとペトラ全体を眺める景色が広がっています。まだペトラ自体に足を踏み入れていないのに、なぜかもう、すごいものを見たという感想を持ってしまうほど。明日はこの中を徒歩で散策すると思うと、なかなか大変そうだなと思いますがワクワク楽しみな気持ちがわいてきます。

リトルペトラの駐車場には車がたった3台ほど。かなりマイナーな場所なのでしょうか。でも中に入ってみるといきなり、岩をくりぬいて造られた大きな神殿が登場。もし「ここが本物のペトラです」と言われたら、ペトラに行く前なら騙されてしまいそうな大きさです。この神殿だけでなく、昔使われていたであろう住居跡や岩に描かれた絵などをゆっくり見ていると、このリトルペトラも見どころとしてじゅうぶん充実しているように思えます。僕らが帰るころには、大型観光バスが4台ほど駐車場に止まっていましたので、やはりどんなツアーでも最後に寄っていくのだと思います。

1時間半ほどリトルペトラを散策し、その後はペトラのサンセットが見えるポイントへ。残念ながら「赤く染まるペトラ」というほどの赤さまでは見ることはできませんでしたが、真ん丸の太陽が消えていく姿は、光が無くなる最後の一瞬までゆっくりと拝むことができました。

明日はいよいよ「ビッグ」のほうのペトラです。

【72日目】世界遺産 ペトラ遺跡

エル・ハズネ

2008/05/25

伝説の都市ペトラは、やはりスケールが違いました。

ペトラ内部はかなり歩く+日中は炎天下で強い日差しをさえぎるものがほとんどない、と聞いていましたので、できるだけ朝早く行動することにしました。

8時過ぎには宿を出て、ワディムーサからペトラ入口までは徒歩で20分ほど。入口で1Dayチケット(21JD)を購入し、いよいよペトラ散策がはじまります。

ペトラの一番の見どころは、何と言っても「インディジョーンズ」の舞台となった、宝物殿「エル・ハズネ(上写真)」です。ペトラの入口から30分以上、シークと呼ばれる岩壁に挟まれた細い道をクネクネ歩いていくと、とつぜん目の前にこのような大きさの神殿が現れるのです。こんなに完成度の高い建物が、この岩山の中で1000年以上も見つからずにいたという話には驚きです。

エル・ハズネを超えてからもさらに遺跡群は続きます。とにかく遺跡と遺跡との間が長く、足元は砂漠のサラサラな砂ですので歩きにくい。徐々に太陽も高くなって厳しい日差し。「ペトラは体力勝負」と言われている意味が分かりました。

さて、もうひとつの見どころは、エル・ハズネからさらに1時間半~2時間くらい進んだところにある、ペトラの一番奥にそびえたつ修道院「エド・ディル」です。高さ45m・幅50m、エル・ハズネを超える大きさです。ここまで来るのには900段の階段を登ってくる必要がありますので、さすがにペトラに来る人が全員ここまで来るわけでは無いようです。僕らが到達したときは、個人旅行者がちらほらいましたが、エル・ハズネ近辺で見たたくさんの観光客の姿はありません。マチュピチュの「月の神殿」を思い出すくらいの、ハードな登山でした。

エド・ディル

エド・ディルを一望できる洞窟で一休みしたあとは、同じ道を戻って行きます。下山は少し軽やかに進みますが、その後の砂漠道にはどうも慣れずに足が疲れてしまいました。でも途中でロバやらラクダやらタクシーに頼ることなく、ワディムーサ⇒ペトラ登頂⇒ワディムーサまで完全に自分達の足で歩ききりました。8時出発⇒15時宿着まで、ほとんど歩いていたことになります。

ペトラは細かく見れば、2日券を買ってじっくりとまわることもいいかもしれません。でも、最大の見所である上記2箇所を押さえつつ、その道中にある遺跡をちらほら見ていくというくらいなら、朝早くスタートすれば問題なくまわってこれるという印象でした。もちろん、水・軽食などの装備を整えて、体力を考えていかねばなりませんが。

これまで見てきた世界遺産の遺跡とは、また一味も二味も違う、異次元のスケールを感じることができた、ペトラでの1日でした。

さすがにバテたので宿帰着後、即効で昼寝となりました。ヨルダンでの数日間があっという間に過ぎていきました。明日にはもうエジプトに向かいます。

【73日目】ヨルダンからエジプトへのどうしようもない国境越え

2008/05/26

うーむ、この日は今回の世界一周旅行の中で、一番「どうしようもない一日」になってしまいました。結局、撮影した写真はゼロでしたので、忘れないためにメモ書きのようにヨルダンからエジプトまでの一日の動きを記していきましょう。

◆ワディムーサからアカバへのセルビス

まずは、ペトラの基点ワディムーサから、紅海に面するヨルダン南部の港町アカバへと向かう必要がありました。例のごとく、乗合バスセルビスは満席になった時点で出発しますので、いつバスターミナルに行ったら正解というものがありません。宿の人に聞いたところ、アカバへの第1便は朝7時に来るとのこと。宿での朝食を諦め、まだ涼しいワディムーサのバスターミナルに6時45分に到着しました。

他の町へのバスは停車しているのに、アカバ行きだけは見当たりません。本当に来るのだろうかと不安な気持ちになっていましたが、7時5分ごろになんとかバスが到着。これに乗り込み、席が埋まるのを待ちました。もしかして1-2時間待たないといけないのかなとも思いましたが、地元客・観光客がうまくミックスしてなんと7時25分には満席、出発となりました。ここまではとても順調です。一路、南へ2時間アカバへと向かいました。

◆アカバ中心部からアカバ港へ

アカバはヨーロッパからの観光客や地元客でにぎわうリゾートタウン。ヨルダンが唯一海と接する場所だけに、ヨルダンにとってかなり重要な街に違いありません。ヨーロッパのような街並み、デパート、ファストフードなど、地中海近辺の町の雰囲気が漂い、真っ青な紅海と広い空、向こう側に見えるイスラエル・エジプトの風景も重なってとても不思議な空気を感じる街です。

僕らはアカバの街自体にはとまりません。セルビスが到着するターミナルから南へ数キロ行ったところにあるアカバ港へと向かいます。セルビス到着と同時に、タクシーの運転手が近寄ってきて、「エジプト、フェリー?」と聞いてきたので、値段交渉して早速港へ移動。運転手が言うには、「11時に船があるから、今なら間に合うぞ」とのこと。現在時刻9時45分。なんとスムーズに行くのでしょうか。この分だと、午後の早い時間にはエジプトに入国できそう。・・・この時点ではそうでした。

◆不思議なヨルダン出国手続き

港につき、旅客ターミナルへと向かいました。まず1階の窓口で、ヨルダン出国税5JDを支払い、そのレシートを持って2階へとあがります。その2階部分が不思議でした。なぜか、パスポートコントロール(出国審査場)の裏側に出るのです。空港で言うと、出国スタンプをもらってから進む搭乗ゲートでしょうか。なぜか係員の後ろ側から僕らは現れ、ひとつしか開いていない「ヨルダン人専用窓口」で出国手続き。スタンプをもらいました。

しかし、またもや不思議。この時点で出国するための船のチケットは未購入なのです。さらに進路を逆行して、ようやく乗船券売場へ到着。なぜかヨルダンを出国した身になってからチケットを手に入れることになりました。さて、11時の船はどこからでるのかな・・・

◆船は来ない・・・永遠に?

10時半になって、まだ船は港には来ていない様子。英語の分からない係員に聞いてみると、「ここであと少し待っておけ」とのこと。同じくエジプトを目指すバックパッカー数名もどうも不安げ。ある人が、別の係員に聞いてみると、「ん?今日の船は2時だろ?」、また別のスタッフは「船は3時だからまだ時間があるよ~」とのこと。

この時点で、「スムーズにいっている」ように思えた今日の予定は崩壊!とにかく11時に船は来なさそうですし、実際に船が来る時間もはっきりしません。ここから、長い長い時間との闘いがはじまるのでした。

朝からまともなものも食べていないのに、11時、12時と時間は経過していきます。なんとか露天のようなところで簡単な食事はできましたが、ずっと港特有の風を身体に浴びながら外で待っているのは動かなくても体力を消耗します。現地の人は特にのんびりといつものことのように過ごしていますが、旅行者らしき約20名は疲れきっている人もいれば元気にトークに熱が入っている人もいて様々。さすがに僕らも疲れてきました。

◆ようやく船が来た!いざ出発・・・してくれ~

結局、船が来たのは13時でも14時でもなく、なんと16時。港についてから6時間も過ごしていたことになります。待合所に船会社のバスが迎えに来てようやく乗船。フェリーのシートにゆったりと腰掛けて、しばしの休息を楽しむことができそうです。

船内ではエジプト入国のための手続きが行われます。日本海からロシアに渡ったのを思い出すような風景です。要ビザ、ビザ不要(or取得済み)、現地人の3パターンがあるようです。僕らは事前にエジプトビザは取得していませんでしたので、必要書類を書き終わったら係員にパスポートを預けることになりました。エジプト到着後、イミグレーションオフィスでビザ発行手続きをするときに返してもらえるとのことですが、一時的にもパスポートを手放すのは非常に不安です。

1人の係員が船内で全員のパスポートチェックを行っているために長蛇の列。それが原因かどうか分かりませんが、全然船は出発する雰囲気ではありません。なんと、僕らが乗車した16時から1時間が経過した17時になるまで、船はとまったまま。「このままではエジプト入国時に夜になってしまう・・・」と不安になりますが、どうすることもできません。そしてようやく17時過ぎに出発するのでした。

◆エジプト到着!でも降りられない。

2時間の船旅は快適。シートも悪くなく、僕らはぐっすりと寝て疲れを癒しました。船内でスナック等を適当に食べ、エジプトポンドへの両替も済まし、さあいよいよ船はエジプトの小さな港町ヌエバに到着です。

港で完全に停止し、みんな降りようと席を立って並んでいます。しかしまったく船の出口が開く様子はありません。なんと、船が停まってからまたもや1時間もこの状態が続いたのです。さすがに多くの人が文句を言っているのが分かりました。なぜここまで時間がかかるのか、理由がまったく分かりません。

外に出れたのは、あたりが徐々に薄暗くなりつつある20時くらい。パスポートが手元に無いままバスに乗せられて到着ロビーのような場所へと移動させられました。

◆エジプト入国手続きは、なぜこんなに面倒なのか?

バスを降ろされたものの、パスポートも無ければ何の支持も無し。このままどうしようもなく立ち尽くしてしまいそうです。そんなとき、朝からずっと一緒のバックパッカーを発見。どうやら向かっている方向はイミグレーション事務所。それもターミナルの端の端。まったく目立たない場所にポツンとある事務所です。こんなの、絶対わかりません。

すでに数名の旅行者が列を作っています。しかしみんなそわそわした様子。そう、「ビザを買え」と船内で言われていたのに、ほとんどの人がまだ持っていないのです。まわりの人に聞いてみると、「あっちの銀行で買えるよ」とのこと。急いで銀行へと向かって、15ドルのビザチケットを購入し、また急いでイミグレーションへと戻りました。もうあたりは真っ暗闇です。ちょっとでも情報を逃してしまうと、アウトです。

ここでも1人の係員が、回収したパスポートをひとつひとつ眺めながら、列の先頭の人の顔を照らし合わせています。僕らから「これが俺のパスポートだ」と探してあげればいいのですが、どうしてもさせてくれません。かなり非効率で時間がかかるだけです。多くの人はブーイング。結局、僕らの前には15人くらい並んでいましたが、30分くらいかかったでしょうか。僕ら二人は比較的簡単に入国審査が終わり、晴れてパスポートゲット!エジプト入国が叶いました。

◆カイロを目指すのみ

入国審査が終わって、さてどうするか。ヌエバの町はここから遠いらしいし、とくに見どころも無いらしい。それならば、バスで一気に首都カイロまで移動してしまったほうが良くないか?ということで、バスターミナルへと徒歩で向かいました。さすがに、このあたりでは「こっちがバスだ」と教えてくれる人が多く、何とかたどりつくことに成功。

「カイロ!カイロ!」と叫んでいる集団がありましたので、「イーストデルタ」という会社のバスチケットをその場で購入。これで夜行バスで一気に移動することができます。ここから約7時間ほど、あとは寝て過ごすのみです。それにしても、久しぶりに長時間をかけて移動をしています。明日以降の疲労、大丈夫かなぁ。

◆なんなんだ、このバスは?

夜9時半に出発したヌエバ発カイロ行きのバスはひたすら寝て過ごす予定でした。しかし、バスの車内でありえない事が・・・。バスの運転手が、定期的にテレビの音量を「最大」にまでアップして轟音を車内に響かせるのです。ぐっすり寝ていてもびっくりして起きてしまいますし、これが長時間続くとなかなか休むことができません。

これはエジプトのバスでは当然なのでしょうか?そんなはずは無いと願いたいけれど・・・。エジプト人の乗客は特に反応無く、テレビを見続けたり寝続けたり。怒りやいらだちよりも、数多くの「???」が飛び交う不思議なバス車内でした。そんな大音量のテレビ放送はなんと午前1時ごろまで続くのでした。

◆到着♪そして、誰を信じていいのか分からないカイロの夜明け前

大音量が静まってからは何とか睡眠をとることができました。そして運転手に方を叩かれて起こされたのは、カイロのバスターミナル到着したあとでした。時刻は夜明け前の5時。どうやら、周りには何も無いターミナルに到着した模様。さっそくタクシーの運転手が数名声をかけてきます。

そこでヌエバから一緒だった現地人らしき人が、「タクシーの奴らは良くないから、僕と一緒にいきましょう」というジェスチャーをしてきます。流しのタクシーを捕まえて一緒に市内へと出るのでしょうか。まだこの人は信用できそうな気がしていました。

しかしです。この人だけ、なぜかバスターミナルにいる警官に呼び止められて、パスポートを没収されてしまいました。どうやらかなりの剣幕で周りの人に責められている様子。何が起こっているのか、まるで分かりません。僕らは早くどこかホテルを探して休みたいのですが・・・。

どうやら、入国かパスポートか何かに問題がある人らしく、ヌエバ乗車のときから目を付けられていたようです。そしてカイロのターミナルに到着したときに、警官が捕らえたのかもしれません。結局どこかに連れて行かれたので、どういう問題があったのか分かりませんが、一緒に行動しなくて僕らにとっては良かったようです。

結局、そこにいたタクシーを利用することになり、いくつかのホテルを見せてもらい、ナイル川沿いのこぎれいな2つ星ホテルにチェックインしたのはもう6時過ぎ。ワディムーサから心休まらない23時間の移動は、ようやく終わりを告げるのでした。

とにかく「疲れた!」の一日。さて明日からのエジプトの旅はどうなることやら。

【74日目】ツタンカーメン黄金のマスク

エジプト考古学博物館

2008/05/27

前日から今日の朝までの大移動で疲れた身体を癒すのには、このホテルは快適でした。昼過ぎまでじっくり休んだあと、今日はインドア派でいくことに。カイロでこの考古学博物館を見ずに帰るわけにはいきません。

それほど広くない館内ではありますが、1階・2階とぎっしりと古代エジプトから続く歴史を重みを感じさせてくれる展示が充実しています。なかでも、2階の一番奥にある、あの有名なツタンカーメン黄金のマスクの輝きには目を奪われます。この部屋だけをじっくり見るのでもじゅうぶん価値があるほどの煌びやかさでした。

また、別料金を支払って「ミイラ展示室」にも入れます。せっかくなので僕らも入室。ラムセス2世やハトシェプスト女王など、有名な歴代の王のミイラが10体ほど、驚くほどリアルに展示されています。なかなか凝視するのが難しいほど、初めてのミイラ見学はドキドキするものでした。

約2時間ほどの滞在でしたが、見どころ・見たいものを効率的に周ればそんなに時間をかけずに周れます。でも、一つ一つ細部までしっかり見ていると1日かかってしまうかも。それくらい、目を奪われる遺産がたくさんおさめられている博物館でした。

【75日目】ギザのピラミッドとスフィンクス

ギザ

2008/05/28

エジプト旅行のハイライトは何と言ってもピラミッド。これは僕にとっても世界一周旅行で絶対に行きたい場所のひとつでした。ようやく今日、訪問が叶います。

いろんな方法でギザまで行けますが、せっかくなのでホテルが「信頼できる」というドライバーにおまかせすることに。しかしそのドライバーは曲者でした。

朝8時に宿を出発し、一路ギザへ向かいます。途中、「数分間、面白いところがあるから寄ってきな」と車を降ろされたのは、パピルス博物館。確かにパピルスの作り方の解説などは面白かったのですが、どうかんがえても「セールス」の臭いがプンプン。ドライバーはいつもここに乗客を連れて行っているのでしょうか。買う気も無く店を出てくると、さっきまでの紳士的な様子は一変。不機嫌で無愛想なドライバーへと変わりました。

そしてそこからギザへ。僕らは「ギザのピラミッドの入場券売場へ」と言っているのに、「いいからいいから」と入っていた先は、やはりラクダ乗場。客引きが車を取り囲んで、ラクダの使用を猛烈プッシュしてきます。ドライバーも便乗して、「こんな砂漠を歩くなんて無理だ、ラクダを使用しなさい!」と。元々、グルになって稼いでいる集団なのでしょう。「絶対にラクダは使わないから、早く車をピラミッド入口まで連れて行け!」と言っているのに、まったく動いてくれません。

15分ほど、客引きの言葉をずっと無視して座っていると、ようやく諦めたか、車を動そうとしました。でも結局車は動かず、「ここからこう行ったら入口だ。さっさと行け」と。彼の観光ルートに1円も落とさないことに苛立ちを隠しきれないようです。結局歩かされて入場ゲートへ。晴れて自由の身になりピラミッド入場です。

もう入口から、クフ王のピラミッドなど3つのピラミッドとスフィンクスが目の前にそびえたっていて圧巻です。特にクフ王のものは入口から近く、全然簡単に歩いていけます。ラクダじゃないと行けないなんて大嘘でした。入場してからも、約2時間の滞在中に物売りがウヨウヨ声をかけてきて邪魔で仕方ありません。「だまれ!」と追い返したり、ダッシュして逃げたり、客引きを避けるのも楽しむしかありません。こういうので疲れるのは勿体無い・・・。

ギザ

クフ王のピラミッドの周りを一周しましたが、よくもこんな大きな石があんな高いところまで積まれているなぁ・・・という気持ちでいっぱいです。近づけば近づくほど、積み上げ方は雑に見えますが、この大きさ・高さはやはりすごいです。これまで見てきた遺跡と比べることができないくらいの圧倒的なパワーがありました。

もう少し静かに安心して鑑賞できれば良いのですが、それでも、念願だったピラミッド訪問を叶えることができて、大満足。午前中の涼しい2時間はあっという間に過ぎました。

そして、あの悪人ドライバーのもとへ帰らねばなりません。ラクダ乗場まで戻ると、やはり超・不機嫌な様子。僕らが「いやあ、徒歩でピラミッドを見学するのは最高だわ★」と言うと、ドライバーの不機嫌は最高潮。もうどうしようもありません。

帰りのドライブは、ドライバーは懲りずにツアーやナイトクルーズなどを必死に進めてきます。午後もどこか行きたいところは無いか?とも言われましたが、どの誘いも「NOサンキュ」の一点張り。「おまえらはNOしか言えないのか?」という質問だけ「YES」と答え、ドライバーは「もういい、金よこせ」というので利用料金をお渡しして終了。なかなか、面倒なドライバーでした。このホテルは、このドライバーを今後も使い続けるのでしょうか。全くお勧めできません・・・。もっと明るく好印象で接してくれれば、何かしらチャンスはあると思うのですが、パピルス屋を出てからの態度の急転換で僕らもアウトでした。

そんなわけで、なかなかエジプトは手ごわいですね。ピラミッド鑑賞が充実・満足できたのが救いでした★

【宿】カイロ Garden Palace Hotel ガーデンパレスホテル

カイロ宿

カイロのダウンタウン地区タフリール広場から徒歩15分程度の場所にある2つ星ホテル。

部屋は広く、エアコンやホットシャワーも使い放題。従業員のレベルも高く、2つ星ホテルの中でもかなり快適な部類に入るのではないでしょうか。このホテルの専属ドライバーはツアーやクルーズなどをガンガンすすめてくるので要注意。無線LAN・インターネット環境無し。値段以上の価値のあるホテルです。

ツインルーム 朝食付き 1泊1室220エジプトポンド

2008/05/26-29 合計3泊

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