モスクワ・ニセ警察トラブル

モスクワ・偽警察事件

「モスクワといえば偽警察の街!」
そう思えてしまうほど、僕にとってはモスクワの印象に影響することになった出来事でした。

その日はシベリア鉄道で夕方ごろにモスクワに到着した記念日でした。郊外にあるユースホステルに荷物を置いて、まだ空が明るかったので、地下鉄にのってあの「赤の広場」に出てみることにしました。

観光客も多く、衛兵の行進などで盛り上がっていたとき、ある警察官(のような人)に声をかけられました。

「パスポートを見せなさい」

なんか嫌な予感はしました。その警察官(のような人)の顔つきはどうみてもヨーロッパの人ではなかったし、制服もすごいヨレヨレで本物ぽくなく・・・。でも、パスポートさえ見せればそれで終わりだろうと思い、提示しました。

彼らは中身をパラパラ見て、ロシアのビザのページを見つけて何かをコソコソはなしています。そして・・・、

「ビザ、ビッグプロブレム!」

これまで何度もパスポートチェックはあったし、何も問題があるはずもないのですが、何か理由をつけて騙そうとしているのでしょう。とは言っても当時はそんな冷静ではなく、こちらもビビっています。手をつかまれて電話ボックスみたいな中に入れられました。古い電話機が机の上に乗っていましたが、電話線はつながれていない様子・・・。

「ビザはビッグなプロブレムがある。もし300ドル出したら修正してあげるがどうだ?」

もちろん、ビッグなプロブレムもスモールなプロブレムもないのは分かっているので、拒否。拒否を続けているうちに、あたりはだんだん暗くなってきて、なかなか恐ろしい雰囲気が・・・。こちらが英語を話せるのに気づくと、相手はロシア語しか話さなくなるし、ラチがあきません。結局、ボックスの中に交流されること2時間あまり。何とか脱出することに成功しました。

はるばる到着した日にはゆっくり休めばいいものを、わざわざがんばって街の中心まで来たことにちょっと後悔。何も被害が出なかったのが、救いでした。彼らは偽警官であると僕は断定していますが、もし本物だったら・・・恐ろしいです。

その後も、2泊3日のモスクワ滞在で、警官か偽警官か分からないが声をかけられビザチェックがこのあと2回。いろんな観光地や建造物はもちろんすごかったのですが、人にビビりながらの観光は大変でした。

2001年8月
上記写真撮影の数分後に偽警察に声をかけられる。

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飛ばないノースウエスト航空機

飛ばないノースウエスト航空機

テロ事件が起こって3ヶ月のニューヨークを訪れる機会を得たので、成田空港のノースウエスト機に乗り込みました。ニューヨークの現状を生で見るという好奇心もありましたし、ニューヨークという街自体の観光も楽しみでした。いよいよ出発という状態で、飛行機が離陸するのを待っていました。

最初は特に何のトラブルも無く、ボーディングブリッジから離れた機体は滑走路に向けてゆっくりと動きだしました。しかし、ある地点からまったく動きを止めてしまったのです。

滑走路の順番待ちかなと思いましたが、数十分たっても動く気配はありません。まわりが徐々にザワつきはじめます。水が配られたり飴ちゃんが配られたり。そして機長より「機内を温暖に保つシステムに問題がある」という知らせが入って、原因調査+復旧作業が始まりました。

その後、何の連絡も入らないまま、何と「4時間」が経過。そこからは逐次アナウンスが入ってはいましたが、依然復旧の目処立たず、5時間が経過したところで成田空港の発着制限時刻を超過。無念の離陸断念となりました。

ボーディングブリッジに戻り、一度行った出国を取り消す「VOID」スタンプをパスポートの出国欄に押してもらいました。そして成田空港のホテルに順次案内され、登場客はみんなフリーで宿泊。夕食・朝食はなぜか成田のホテルでいただくことになりました。

次の日の朝、修理を終えた機体に乗り込み、今度はようやく順調にテイクオフ。その後は1泊減ってしまったニューヨークを濃く楽しむことができました。

今となっては、その機体トラブルを抱えたまま離陸しなくて良かったという気持ちでいっぱいです。また、豪華なホテル宿泊、貴重なVOIDスタンプ、そしてノースウエストの2万マイル進呈など、いろいろ良い経験もできたので良かったかなと思います。

2001年12月
上記の写真に写るノースウエスト機が犯人だ!

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シドニーオリンピック ソフトボール決勝戦

シドニーオリンピック ソフトボール決勝戦

2000年のシドニーオリンピック開催中は、毎日のようにオリンピックパークに足を運んでは、何かしらの競技を観戦する毎日でした。そんな中、「日本とアメリカがソフトボールの決勝戦で戦う」ということを聞き、さっそく郊外にあるスタジアムへと向かいました。

とは言っても肝心のチケットは持っていないので、あまったチケットを譲ってくれる人を探すことに。チケットプリーズという紙を持って、試合の三時間前から待機。途中、あの「オリンピックおじさん」にも声をかけていただきました。

たまたま居合わせた日本人3名でチケットを探すこと1時間半。ようやく、「余っているよ!」と声をかけてくれる人が登場。それも、運のいいことに3名分★

それぞれぜんぜん違う席のチケットだったので、僕もその中から適当に選んでゲット。3名は別の場所に散らばって応援することになりました。

さて、僕の席はどこかな~。席を確認するためにチケットを再度じっくり眺めてみると、座席番号の下に小さく「USA Tours」という文字を発見。「まさか!」と思ったのは言うまでもありません。

席についてみるとやはり、周りはアメリカからの団体ツアー客ばかり。ツアーで手配した観戦チケットが余ったから、譲ってくれたのだと分かりました。

大きなアメリカ人の方々に挟まれて、ひとりだけ日本を応援する僕。日本が活躍したときに一緒に盛り上がる相手もおらず、肩身の狭い思いをしましたが、でも観戦はしっかりと楽しみました。

試合はなんとアメリカのサヨナラ勝ち。歓喜に沸くアメリカ応援団の中で、ひっそりと日本チームにありがとうの拍手を送り続けるのでした。

2000年10月
ブラックタウンオリンピックセンターにて

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シアトル・コイントス事件

シアトル・コイントス事件

カナダのバンクーバーに1ヶ月間英語を学びに行っていたときの出来事。

とある週末、時間があったので、人生初の「ミニ一人旅」を敢行しようと、国境を越えてアメリカのシアトルまでバスででかけることにしました。当時はイチローがシアトルマリナーズに入る前でしたし、何か特別に目的があったわけではありませんが、自らチケットを手配して、陸路で国境を越えるということが自分にとっては「大きな仕事」だと感じていました。

行きは国境も難なく通過し、無事シアトルへと到着。帰りはそのバス会社のオープンチケットを持っていたので、適当な便を選んで乗ることになっていました。とは言っても、観光したあとに選べるのは最終便だけだったのですが・・・。この時点で帰りの席をフィックスしていなかったことが、後々になって緊張の場面を招くとは分かっていませんでした。

港町シアトルの一日はとても晴れ渡って気持ちよく過ごせました。そして夕方、バスターミナルでバンクーバー行きの最終バスを待ちます。そこにようやくバスが入ってきました。

ん?バスにはすでにたくさんの乗客が乗っていました。なんとここはバスの始発場所ではなく、シアトルの各停留所で乗客を拾ったあとの最後のバス停だったようです!

運転手が降りてきて、すでにこのバスを指定して予約している人の名前が読み上げられて乗り込んでいきます。もちろん僕は予約した覚えもありませんし、名前が呼ばれるはずもありません。そしてバス停に残っているのは4名。次に案内されるのかと思いきや、運転手から衝撃の一言が。

「あと2席だから、2名は乗れません」

全身に緊張が走りました。このバスを逃したらシアトルからバンクーバーに帰れません。ホームステイでも心配されるでしょうし、翌日は学校には行けません。さらに、翌日の放課後には「スカイダイビング」の予約を入れている・・・。帰らないわけにはいきません。何より、何も分からないシアトルの夜に放り出されて、途方にくれてしまうでしょう・・・。

運転手はポケットからコインを取り出しました。「裏表のどちらかを当てた人から乗り込んでよし」と言ったような気がします。まさかこんな大事な局面でコイントスで決めるなんて・・・。今から思えば、フェアといえるかもしれませんが、当時はそんな「アメリカ」に完全にビビってしまいました。

最初のカナダ人2名は、2人ともはずれ。そして3番目に順番が回ってきました。もしこれではずせば、次に回ってくる可能性は低いでしょう。運転手のコインの動きをじっくりと見ながら(とはいってもぜんぜん見えませんが)、「裏(Tail)!」と渾身の一言。

アメリカのコインを知らなかったので、そのとき、当たりだったのか外れだったのかは分かりません。しかし、その運転手は無言でカナダの入国書類を手渡してくれました。そのまま胸の鼓動がおさまらないままバスへと乗り込み、無事その日のうちにバンクーバーのホームステイに帰り着くことができたのでした。

1999年8月

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MOMAアンリマティス事件

ロシア・サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館で観たアンリ・マティスの絵画に魅せられた僕は、ニューヨークの国立近代美術館(MOMA)でもマティスの数々の作品が観れることを楽しみにしていました。

入り口でもらった地図を広げて「さて、マティスの作品はどこにあるのかな?」

地図にあるとおりに、広大なMOMAの中を進みます。そして、目的階にたどり着いてその場に入ろうとしたとき、唖然・・・。

なんど、アンリ・マティスの作品のほとんどが、現在他の美術館に貸し出し中とのこと。いくつかの作品は楽しめましたが、ちょっと残念な気持ちでした。しかも追い討ちをかけるように・・・、なんとマティスの作品が貸し出されている先は「上野国立美術館」でした。奈良から東京経由でニューヨークまでやってきましたが、実はマティスの作品がたくさん置いてある美術館は東京のど真ん中にあったなんて。諦めるしかありませんでしたが、残念+驚きの出来事でした。

2001/12

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マレーシア出入国事件

オーストラリアのワーキングホリデー生活が終わり、帰りに1週間、シンガポールとマレーシアに立ち寄りました。その時の出来事です。

シンガポールの中央駅からクアラルンプール行きの国際列車「マレー鉄道」に乗車しました。シンガポールでは出国審査のようなものがあったので、国境を越えたあたりでマレーシアの入国検査があるものとばかり思っていました。しかし、マレーシアのジョホールバルについても、特に何かの手続きをするという様子はありません。停車時間があったので、この時間に自ら外に出て手続きをすべきだったのかどうか、それも未だに分かりません。結局、何もやらないまま、列車はクアラルンプールに向けて走り出しました。、

「マレーシアに入国していないぞ・・・」

そんな、不安な気持ちはあったのですが、結局そんなことも忘れたまま、クアラルンプールとマラッカを観光。そしてマラッカからシンガポールに向かうバスが国境にさしかかって一人ひとりパスポートチェックを受けるときがやってきました。

「入国記録が無い!どうやってマレーシアに入ったんだ??」

やはり恐れていたことが・・・。列車で入国の際に、入国手続きがされていないことが問題になったようです。しかし、偶然にも、パスポートにマレー鉄道のチケットが挟まっていました。「これでどうだ!」と係員にチケットを見せると、パスポートに手書きで何かメモを書いてくれ、そのままパス。どうやら、そのチケットどおりに入国したことにしてくれたようです。

係員とのやりとりは5分ほどだったでしょうか。その間にも、僕が乗ってきたバスは全員がそろったと勘違いして発車っそうな雰囲気でした。大急ぎでバスに駆け寄り事なきをえましたが、もう少し長引いていたとしたら、僕の巨大バックパックはそのまま持ち主の無いままシンガポールへと運ばれていたことでしょう。

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搭乗券紛失事件!

2000年4月、ワーキングホリデーのスタート日、オーストラリアのシドニーに向かっていたときのこと。関空からブリスベンまで直行便で飛んで、一旦機内から降りてから同じ便に乗り込んでシドニーが最終目的地という変わったフライトでした。

ブリスベンまで無事到着し、待合ロビーで1時間の待ち時間。そして、再搭乗のアナウンスが聞こえてきたとき、「や、やばい!」と。なんと、ブリスベン発シドニー行きのボーディングパスがどこかへ行ってしまったのです。

一度機体から降りるときにはあったので、絶対にこのブリスベン空港の待合ロビー内にあるはずなのですが、動き回った場所を見回ってもありません。カバンの中や本の間を探しても無い。このままでは初日から空港で迷い人になってしまうのか・・・。

そんなとき、あることを思い出しました。そういえば、ワーキングホリデー出発の記念に、搭乗券をデジカメで撮影していたのだ!

デジカメの小さいモニターに映し出されている搭乗券と氏名、そして座席番号を精一杯ズーム表示して、カンタス航空係員に見せました。まだデジカメが一般的でなかった頃なので、係員はびっくりして、まわりのスタッフを呼び集めました。「これ見てみろよ!」と楽しそうに談笑しています。

こっちはそれどころじゃないのだけど・・・。

「OK、大丈夫。乗っていいよ!」と、とても軽いノリで機内へと促されました。僕としてはとても助かったのですが、セキュリティ上、大丈夫だったのかなぁ。航空会社に登録されているデータとデジカメ画面、そしてパスポートを照合したので、何とか大丈夫なのでしょう。

こうして、晴れて、ワーホリのスタート地点であるシドニーへ降り立つことができたのでした。

※結局、雑誌の中に搭乗券は隠れていました・・・。

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