【2001/8-9】シベリア鉄道ユーラシア大陸横断とエーゲ海の青い海

シベリア鉄道ユーラシア大陸横断とエーゲ海の青い海

就職活動を無事終え、卒業まで自由の身になった僕は、やはり目指すは海外でした。オーストラリアに居たときに体験したインディアンパシフィック号がとても良かったので、今回はそれを超えるシベリア鉄道にチャレンジすることに。さらにヨーロッパやエーゲ海地区を回って帰ってくるプランを計画しました。スイスに居る友人には「今から飛行機を使わずにそっちに行くね!」と意味不明なことを伝え、いよいよ出発。

大阪から特急サンダーバード号で高岡まで行き、そこからローカルな氷見線に乗り込み伏木港へ。氷見線ではすでに百戦錬磨のバックパッカー数名が同じようにシベリア鉄道を目指しているのが分かりました。⇒このとき出会った友人の旅行記

伏木で乗り込んでルース号は日本海の荒波を乗り越えて3日でロシアの極東ウラジオストクへ到着し、そこで1泊した後、シベリア鉄道ロシア号モスクワ行きは出発しました。途中、バイカル湖の拠点イルクーツク駅で下車し1泊し、翌日のシベリア鉄道バイカル号モスクワ行きで終点まで。長旅を終えた僕にはちょっとした洗礼がありましたが、何とか無事ヨーロッパまで陸路で到達しました。

モスクワから夜行特急「赤い矢号」でサンクトペテルブルグへ行き、エルミタージュ美術館を堪能。そこからは列車を乗り継いで、ポーランドのワルシャワ・クラクフ・アウシュビッツを訪問し、チェコのプラハへ。バスで世界遺産の街チェスキークロムルフでまったりすごし、絶品チェコビールを堪能。

バスと列車を乗り継いでオーストリアの首都ウィーンへ。オペラ観劇した後は、夜行列車でスイスのチューリヒへ。ここでようやく、「陸路で行くで」の友人と再会。スイスアルプスやリヒテンシュタインを回りました。

スイスの物価の高さに驚き、逃げるようにしてギリシャのアテネ行きのチケットを購入。アテネについたと思いきや、アテネ空港でクレタ島行きの航空券をその場でゲットして、エーゲ海へ飛び出しました。クレタ島・サントリーニ島をまわってフェリーでアテネに帰還。その間にニューヨークでの911テロが起こりました。状況を把握できなかった僕は、帰国が遅れて内定式に出られないのも困るので、旅をアテネで終えることを決意。本当はトルコまで足を伸ばしたかったんだけど、その代わりにギリシャの世界遺産メテオラを堪能できたのでよかったです。

アテネから日本へ帰るチケットの入手も困難を極めたが、なんとかシンガポール航空のシンガポール・台北経由便を取ることができました。1ヵ月半に及ぶ、自由気ままな一人旅は無事完成しました。

※左:シベリア鉄道の始発、ウラジオストク駅  右:ギリシャのアクロポリス

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【2001/12】韓国プチ周遊

韓国プチ周遊

これまでに滞在したカナダやオーストラリアでは、韓国人の友人に恵まれました。そんな彼らも僕と同じように、それぞれが帰国し、活躍しているようです。初韓国の一人旅も兼ねて、友人を訪れようと思いました。

関空からソウルへと飛び、ソウルに住む友人2名とそれぞれと再会。韓国の居酒屋やカラオケボックスなど、貴重な体験も。ソウル駅から特急に乗り込み、南部の小さな町スンチョン(順天)へ。ここではシドニー時代に一番仲良くしていたリーヤン氏の実家でお世話になりました。

順天から釜山空港まで送ってもらい、アシアナ航空の国内線でチェジュ(済州)島へ。カナダ・バンクーバーで仲良かったドンチェル氏の実家を訪問。済州島の空港から関空へと帰国しました。

誰もがみな、手厚く歓迎してくれたので感謝の気持ちでいっぱいです。普通の一人旅ではなかなか味わうことの無い、韓国人家族のやさしさに触れた8日間でした。

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【2001/12】ニューヨーク格安旅行

ビッグアップルニューヨーク

「ニューヨーク往復が2万5千円?」

911テロが起こった年の年末のニューヨーク行きのチケットがとても安く売られていました。ニューヨークという街への興味もありましたし、テロ後の復興へのパワーも感じてみたく、訪米を決断。韓国旅行から戻ってわずか数日後のことでした。

ノースウエスト航空機事件の関係で、4泊の予定が3泊になってしまいましたが、主要な観光地や、やりたかったことは網羅できました。マンハッタン地区は広いですが地下鉄やバスもとても使いやすかった印象です。夜も特に危険な雰囲気はありませんでした。何より、その街からあふれ出るパワーに元気をもらった感じです。

メトロポリタン美術館やMOMAでゆっくりとした時間を過ごし、ミュージカル「アイーダ」は最前列の学生用チケットを朝に凍えながら入手し観劇。そしてもちろん、崩れ去った貿易センタービル跡も訪問しました。作業がなかなか進まない様子、欠けている隣のビルなど、印象的な風景が目の前に広がっていました。

急ぎの4日間でしたが、1都市限定の海外旅行という経験も無かったですし、世界最大の刺激的な街は十分に楽しめたと思います。次はメジャーリーグの観戦など、まだまだやることがありそうですね☆

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【2002/03】トルコ・UAEへひとり卒業旅行

ドバイ・イスタンブール

大学生の身分で行く最後の海外一人旅です。社会人になってしまうと、もう当分は自由に旅をする機会は無いだろう・・・そんな覚悟で、行きたいところに行くことにしました。

夏休みの一人旅の最終目的地にする予定だったトルコは、学生時代にぜひ行っておきたかったし、この時期はアラブ首長国連邦のドバイでも大好きな競馬の祭典「ドバイワールドカップ」が行われるということでこちらも興味津々。

そんなときに知ったのが、トルコ航空の2フライトプレゼント制度です。トルコ航空で日本からイスタンブール往復航空券を購入すると、ある程度の距離制限はありますが、イスタンブールからさらに2フライトが無料でついてくるのです。トルコ国内線に使ってもいいし、ヨーロッパ・中東・アフリカの近距離フライトも問題なく使えます。僕は迷わず、ドバイの往復をゲットしました。

トルコでは、イスタンブールに数泊と、世界遺産のカッパドキア遺跡を周遊。長距離バスが発達している国ですので、国内の陸移動がとても快適です。アダナ・メルスィンという南の町にも足を伸ばし、最後はアダナからイスタンブールまで夜行列車も利用しました。

アラブ首長国連邦のドバイでは、残念ながら「ドバイワールドカップ」の日に合わせて行くことはできなかったのですが、世界有数の規模を誇る「ナドアルシバ競馬場」で競馬の開催に出くわすことができ、ナイター競馬を楽しみ、とても良い思いでとなりました。アラブの国を旅するのは初めてでしたが、ドバイは安全でひとりで自由に動きやすい場所ではないでしょうか。次来るときは思いっきり贅沢をしてみたいと思える場所です。

なかなかユニークなスタイルの卒業旅行になりましたが、自分の中では「旅はやれるだけやりきった」という充実した感じでした。社会人になって、時間が制限された中で、これからどんな旅をしていけるのか。簡単には諦めずに、旅は続けていくのでしょう・・・。

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