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デジタル一眼レフカメラ「ニコンD40」

今回の世界一周旅行にはこのデジタル一眼レフカメラを持っていきます。カメラについてはたいして詳しくなく、初めて買ったデジタル一眼レフですが、初心者にも使いやすそうなので、少しでも良い写真が撮れるようにがんばります。

コンパクトカメラと比べて少々持ち運びが不便ではありますが、せっかくいろんなところを訪れるのですから、目に焼き付けることプラスキレイな写真を持ちかえってきたいと思います。

旅行前に家を引き払います

僕たちの世界一周旅行は3~4ヶ月ほどを予定していますので、長期というわけでもなく短期というわけでもないかもしれません。これくらいの期間の旅行者のホームページって意外と少ないのですが、みなさんはその期間の日本の家や荷物はどうしているのでしょうね。

普通は3ヶ月程度の旅行だったら、今借りている家は家賃を払い続けてそのまま!という方が多いような気がします。引越し作業も必要だし、旅行中の家財一式をどこかに預けないといけない、そして帰ってきたら家探し。とても忙しくなるからです。半年を越える旅行になってくると、さすがに家賃を払い続けるのはつらいので、引き払う方が多そうです。

で、僕たちはというと、今回は家を引き払っていくことにしました。

もともと、今二人で住んでいる家は、若干狭いと感じていたので近々引越ししたいと思っていました。また、世界一周旅行出発の月の月末が更新に当たるため更新料1ヶ月がかかってきます。「それなら!」と、思い切って今の家を引き払い、トランクルームに家財一式放り込んで旅に出ようということにしました。

3月という引越しシーズンだったため、トランクルームを探すのにも一苦労+直前の引越しのあわただしさは大変(引越し準備中にこの記事を書いています)ではありますが、もうすぐ出発の旅行に向けてもうひとふんばりです。

帰ってきていきなり「住所不定」で、家探しもせねばなりませんが、これもこれで楽しめればなと思っています★

モスクワ・ニセ警察トラブル

モスクワ・偽警察事件

「モスクワといえば偽警察の街!」
そう思えてしまうほど、僕にとってはモスクワの印象に影響することになった出来事でした。

その日はシベリア鉄道で夕方ごろにモスクワに到着した記念日でした。郊外にあるユースホステルに荷物を置いて、まだ空が明るかったので、地下鉄にのってあの「赤の広場」に出てみることにしました。

観光客も多く、衛兵の行進などで盛り上がっていたとき、ある警察官(のような人)に声をかけられました。

「パスポートを見せなさい」

なんか嫌な予感はしました。その警察官(のような人)の顔つきはどうみてもヨーロッパの人ではなかったし、制服もすごいヨレヨレで本物ぽくなく・・・。でも、パスポートさえ見せればそれで終わりだろうと思い、提示しました。

彼らは中身をパラパラ見て、ロシアのビザのページを見つけて何かをコソコソはなしています。そして・・・、

「ビザ、ビッグプロブレム!」

これまで何度もパスポートチェックはあったし、何も問題があるはずもないのですが、何か理由をつけて騙そうとしているのでしょう。とは言っても当時はそんな冷静ではなく、こちらもビビっています。手をつかまれて電話ボックスみたいな中に入れられました。古い電話機が机の上に乗っていましたが、電話線はつながれていない様子・・・。

「ビザはビッグなプロブレムがある。もし300ドル出したら修正してあげるがどうだ?」

もちろん、ビッグなプロブレムもスモールなプロブレムもないのは分かっているので、拒否。拒否を続けているうちに、あたりはだんだん暗くなってきて、なかなか恐ろしい雰囲気が・・・。こちらが英語を話せるのに気づくと、相手はロシア語しか話さなくなるし、ラチがあきません。結局、ボックスの中に交流されること2時間あまり。何とか脱出することに成功しました。

はるばる到着した日にはゆっくり休めばいいものを、わざわざがんばって街の中心まで来たことにちょっと後悔。何も被害が出なかったのが、救いでした。彼らは偽警官であると僕は断定していますが、もし本物だったら・・・恐ろしいです。

その後も、2泊3日のモスクワ滞在で、警官か偽警官か分からないが声をかけられビザチェックがこのあと2回。いろんな観光地や建造物はもちろんすごかったのですが、人にビビりながらの観光は大変でした。

2001年8月
上記写真撮影の数分後に偽警察に声をかけられる。

飛ばないノースウエスト航空機

飛ばないノースウエスト航空機

テロ事件が起こって3ヶ月のニューヨークを訪れる機会を得たので、成田空港のノースウエスト機に乗り込みました。ニューヨークの現状を生で見るという好奇心もありましたし、ニューヨークという街自体の観光も楽しみでした。いよいよ出発という状態で、飛行機が離陸するのを待っていました。

最初は特に何のトラブルも無く、ボーディングブリッジから離れた機体は滑走路に向けてゆっくりと動きだしました。しかし、ある地点からまったく動きを止めてしまったのです。

滑走路の順番待ちかなと思いましたが、数十分たっても動く気配はありません。まわりが徐々にザワつきはじめます。水が配られたり飴ちゃんが配られたり。そして機長より「機内を温暖に保つシステムに問題がある」という知らせが入って、原因調査+復旧作業が始まりました。

その後、何の連絡も入らないまま、何と「4時間」が経過。そこからは逐次アナウンスが入ってはいましたが、依然復旧の目処立たず、5時間が経過したところで成田空港の発着制限時刻を超過。無念の離陸断念となりました。

ボーディングブリッジに戻り、一度行った出国を取り消す「VOID」スタンプをパスポートの出国欄に押してもらいました。そして成田空港のホテルに順次案内され、登場客はみんなフリーで宿泊。夕食・朝食はなぜか成田のホテルでいただくことになりました。

次の日の朝、修理を終えた機体に乗り込み、今度はようやく順調にテイクオフ。その後は1泊減ってしまったニューヨークを濃く楽しむことができました。

今となっては、その機体トラブルを抱えたまま離陸しなくて良かったという気持ちでいっぱいです。また、豪華なホテル宿泊、貴重なVOIDスタンプ、そしてノースウエストの2万マイル進呈など、いろいろ良い経験もできたので良かったかなと思います。

2001年12月
上記の写真に写るノースウエスト機が犯人だ!

シドニーオリンピック ソフトボール決勝戦

シドニーオリンピック ソフトボール決勝戦

2000年のシドニーオリンピック開催中は、毎日のようにオリンピックパークに足を運んでは、何かしらの競技を観戦する毎日でした。そんな中、「日本とアメリカがソフトボールの決勝戦で戦う」ということを聞き、さっそく郊外にあるスタジアムへと向かいました。

とは言っても肝心のチケットは持っていないので、あまったチケットを譲ってくれる人を探すことに。チケットプリーズという紙を持って、試合の三時間前から待機。途中、あの「オリンピックおじさん」にも声をかけていただきました。

たまたま居合わせた日本人3名でチケットを探すこと1時間半。ようやく、「余っているよ!」と声をかけてくれる人が登場。それも、運のいいことに3名分★

それぞれぜんぜん違う席のチケットだったので、僕もその中から適当に選んでゲット。3名は別の場所に散らばって応援することになりました。

さて、僕の席はどこかな~。席を確認するためにチケットを再度じっくり眺めてみると、座席番号の下に小さく「USA Tours」という文字を発見。「まさか!」と思ったのは言うまでもありません。

席についてみるとやはり、周りはアメリカからの団体ツアー客ばかり。ツアーで手配した観戦チケットが余ったから、譲ってくれたのだと分かりました。

大きなアメリカ人の方々に挟まれて、ひとりだけ日本を応援する僕。日本が活躍したときに一緒に盛り上がる相手もおらず、肩身の狭い思いをしましたが、でも観戦はしっかりと楽しみました。

試合はなんとアメリカのサヨナラ勝ち。歓喜に沸くアメリカ応援団の中で、ひっそりと日本チームにありがとうの拍手を送り続けるのでした。

2000年10月
ブラックタウンオリンピックセンターにて

シアトル・コイントス事件

シアトル・コイントス事件

カナダのバンクーバーに1ヶ月間英語を学びに行っていたときの出来事。

とある週末、時間があったので、人生初の「ミニ一人旅」を敢行しようと、国境を越えてアメリカのシアトルまでバスででかけることにしました。当時はイチローがシアトルマリナーズに入る前でしたし、何か特別に目的があったわけではありませんが、自らチケットを手配して、陸路で国境を越えるということが自分にとっては「大きな仕事」だと感じていました。

行きは国境も難なく通過し、無事シアトルへと到着。帰りはそのバス会社のオープンチケットを持っていたので、適当な便を選んで乗ることになっていました。とは言っても、観光したあとに選べるのは最終便だけだったのですが・・・。この時点で帰りの席をフィックスしていなかったことが、後々になって緊張の場面を招くとは分かっていませんでした。

港町シアトルの一日はとても晴れ渡って気持ちよく過ごせました。そして夕方、バスターミナルでバンクーバー行きの最終バスを待ちます。そこにようやくバスが入ってきました。

ん?バスにはすでにたくさんの乗客が乗っていました。なんとここはバスの始発場所ではなく、シアトルの各停留所で乗客を拾ったあとの最後のバス停だったようです!

運転手が降りてきて、すでにこのバスを指定して予約している人の名前が読み上げられて乗り込んでいきます。もちろん僕は予約した覚えもありませんし、名前が呼ばれるはずもありません。そしてバス停に残っているのは4名。次に案内されるのかと思いきや、運転手から衝撃の一言が。

「あと2席だから、2名は乗れません」

全身に緊張が走りました。このバスを逃したらシアトルからバンクーバーに帰れません。ホームステイでも心配されるでしょうし、翌日は学校には行けません。さらに、翌日の放課後には「スカイダイビング」の予約を入れている・・・。帰らないわけにはいきません。何より、何も分からないシアトルの夜に放り出されて、途方にくれてしまうでしょう・・・。

運転手はポケットからコインを取り出しました。「裏表のどちらかを当てた人から乗り込んでよし」と言ったような気がします。まさかこんな大事な局面でコイントスで決めるなんて・・・。今から思えば、フェアといえるかもしれませんが、当時はそんな「アメリカ」に完全にビビってしまいました。

最初のカナダ人2名は、2人ともはずれ。そして3番目に順番が回ってきました。もしこれではずせば、次に回ってくる可能性は低いでしょう。運転手のコインの動きをじっくりと見ながら(とはいってもぜんぜん見えませんが)、「裏(Tail)!」と渾身の一言。

アメリカのコインを知らなかったので、そのとき、当たりだったのか外れだったのかは分かりません。しかし、その運転手は無言でカナダの入国書類を手渡してくれました。そのまま胸の鼓動がおさまらないままバスへと乗り込み、無事その日のうちにバンクーバーのホームステイに帰り着くことができたのでした。

1999年8月

オーストラリア横断鉄道「インディアンパシフィック」

インパシ

オーストラリアを一周したラウンド旅行の締めくくりがこの「インディアンパシフィック号」によるパースからシドニーへの大陸横断3泊4日の旅でした。この貴重な機会の記念に奮発してファーストクラスを利用。個室で豪華食事つき。これ以上無い思い出となりました。

パースを出て世界最長の直線線路を持つナラボー平原を進み、3日目にはアデレード、そして4日目にシドニーへと到着します。何もすることがなくボーっと窓の外を見ながらオーストラリアに居た一年間のことを思い出す。そんな、まったりとした時間を心から楽しみました。

2001年1月22日パース発、1月25日シドニー着

シベリア鉄道でロシア7泊8日横断

シベリア鉄道

世界最長の長距離列車といえばシベリア鉄道。これを経験しないわけにはいきません。大学最後の年の夏休みにその計画は実行されました。

富山県の伏木港から船でウラジオストクに入り、そこから7泊8日の列車旅です。僕の場合は途中のイルクーツクで下車して一泊しましたが、一気にモスクワまで行くという人もかなりの割合です。

変わらない景色が流れ続ける8日間。でも決して退屈することはありませんでした。同じように遥かなるヨーロッパを目指す旅人がたくさん乗車していますし、途中停車駅での食料争奪戦の激しさ、そして現地ロシア人との交流など、様々な出会いや体験が待っていました。

一生に一度は、「ヨーロッパへは飛行機を使わず」をおすすめします☆

個人的ランキング:海・ビーチ編

ラッキーベイ

第1位 ラッキーベイ(オーストラリア・エスペランス)

西オーストラリア州パースから車で数百キロ。小さな町エスペランスの先にあるうわさのビーチです。まだまだ遠いのに視界に入った瞬間「あれだ!」と分かる、透き通った青色と真っ白なビーチ。これこそ楽園。


エーゲ海

第2位 エーゲ海(ギリシャ)

アテネのピレウス港から、サントリーニ島やクレタ島をフェリーで訪問。その青い海が遥か向こうまで広がる景色に感動しました。エーゲ海の夕暮れや、サントリーニ島の真っ白な町並みとの調和も魅力的です。


ボンダイビーチ

第3位 ボンダイビーチ(オーストラリア・シドニー)

シドニーのビーチといえばここ。初めてバスで訪れたときに右側に広がった青い光景に驚き、大好きになりました。それ以来、シドニー滞在中に何度も遊びに来ました。



その他、印象に残っている海・ビーチ
・川平湾(沖縄・石垣島)
・キャメルビーチ(オーストラリア・ブルーム)
・ジュメイラビーチ(UAE・ドバイ)

今後訪れたい海・ビーチ
・アンマンビーチ(ヨルダン・死海)
・ホワイトヘブンビーチ(オーストラリア・クイーンズランド)
・紅海
・モルディブ

※2008/02現在

【1998/8-9】初めての海外はイギリス1ヶ月の語学研修

僕が初めて海外に行ったのが、大学2年の夏休み。大学の語学研修プログラムに参加して、イギリスのバーミンガム大学の英語特別コースで1ヶ月学びました。飛行機に乗ったのもこれがはじめてでした。

このときは、経験すること全てがはじめてのことなのでとても新鮮で、驚きの連続。とは言っても、集団で英語を学ぶコースでしたので、個人的に自由に行動することはあまりありませんでした。

クラスのエクスカーションではオックスフォードや世界遺産バース市街を訪問。週末を使って個人的にロンドンや北部の湖水地方を訪れました。

このときは「旅行」よりも、何よりも「英語」をしっかり習得しなければという気持ちが強かったため、個人旅行の楽しさや深さについてまだまだ理解していませんし、将来こんなに旅好きになるという予感すら無かったのではないでしょうか。

【1999/8-9】カナダ・バンクーバーに語学留学1ヶ月

カナダ・バンクーバー

初の海外からちょうど1年後。あのときの刺激や感動をもう一度味わいたい!ということで大学3年の夏休みも1ヶ月間の語学留学に出発。今回の行き先はカナダのバンクーバー、前回のような集団でのスクールではなく個人で申し込み、個人で行動する新たな試みにチャレンジしました。

ホームステイ先からローカルのバスに乗って学校に通い、放課後はクラスメイトとカフェしたり出かけたり。想像していた語学留学ライフをそのまま楽しんでいる感じでした。外国人の生徒も多く、これまでに無く英語を使う機会にも恵まれた気がします。

バンクーバー市内ですとキャピラノ渓谷やUBC大学の訪問、郊外へは週末を使って雪が残るウィスラーや一泊二日でヴィクトリアへも足を伸ばしました。また、個人的にちょっとした冒険心で日帰りシアトル旅行を結構。初の陸路での国境越えにも興奮しましたが、最後は超・緊張の結末が・・・。詳しくはシアトル・コイントス事件のページをご覧ください。

個人的に自由に行動することで、自信もつきましたし、「もっと海外を知りたい・旅したい」という気持ちが湧き上がってきたのも、このカナダでの1ヶ月が大きなきっかけです。人生に与えた影響は計り知れません。カナダで出会った方々に心から感謝★

【2001/8-9】シベリア鉄道ユーラシア大陸横断とエーゲ海の青い海

シベリア鉄道ユーラシア大陸横断とエーゲ海の青い海

就職活動を無事終え、卒業まで自由の身になった僕は、やはり目指すは海外でした。オーストラリアに居たときに体験したインディアンパシフィック号がとても良かったので、今回はそれを超えるシベリア鉄道にチャレンジすることに。さらにヨーロッパやエーゲ海地区を回って帰ってくるプランを計画しました。スイスに居る友人には「今から飛行機を使わずにそっちに行くね!」と意味不明なことを伝え、いよいよ出発。

大阪から特急サンダーバード号で高岡まで行き、そこからローカルな氷見線に乗り込み伏木港へ。氷見線ではすでに百戦錬磨のバックパッカー数名が同じようにシベリア鉄道を目指しているのが分かりました。⇒このとき出会った友人の旅行記

伏木で乗り込んでルース号は日本海の荒波を乗り越えて3日でロシアの極東ウラジオストクへ到着し、そこで1泊した後、シベリア鉄道ロシア号モスクワ行きは出発しました。途中、バイカル湖の拠点イルクーツク駅で下車し1泊し、翌日のシベリア鉄道バイカル号モスクワ行きで終点まで。長旅を終えた僕にはちょっとした洗礼がありましたが、何とか無事ヨーロッパまで陸路で到達しました。

モスクワから夜行特急「赤い矢号」でサンクトペテルブルグへ行き、エルミタージュ美術館を堪能。そこからは列車を乗り継いで、ポーランドのワルシャワ・クラクフ・アウシュビッツを訪問し、チェコのプラハへ。バスで世界遺産の街チェスキークロムルフでまったりすごし、絶品チェコビールを堪能。

バスと列車を乗り継いでオーストリアの首都ウィーンへ。オペラ観劇した後は、夜行列車でスイスのチューリヒへ。ここでようやく、「陸路で行くで」の友人と再会。スイスアルプスやリヒテンシュタインを回りました。

スイスの物価の高さに驚き、逃げるようにしてギリシャのアテネ行きのチケットを購入。アテネについたと思いきや、アテネ空港でクレタ島行きの航空券をその場でゲットして、エーゲ海へ飛び出しました。クレタ島・サントリーニ島をまわってフェリーでアテネに帰還。その間にニューヨークでの911テロが起こりました。状況を把握できなかった僕は、帰国が遅れて内定式に出られないのも困るので、旅をアテネで終えることを決意。本当はトルコまで足を伸ばしたかったんだけど、その代わりにギリシャの世界遺産メテオラを堪能できたのでよかったです。

アテネから日本へ帰るチケットの入手も困難を極めたが、なんとかシンガポール航空のシンガポール・台北経由便を取ることができました。1ヵ月半に及ぶ、自由気ままな一人旅は無事完成しました。

※左:シベリア鉄道の始発、ウラジオストク駅  右:ギリシャのアクロポリス

【2001/12】韓国プチ周遊

韓国プチ周遊

これまでに滞在したカナダやオーストラリアでは、韓国人の友人に恵まれました。そんな彼らも僕と同じように、それぞれが帰国し、活躍しているようです。初韓国の一人旅も兼ねて、友人を訪れようと思いました。

関空からソウルへと飛び、ソウルに住む友人2名とそれぞれと再会。韓国の居酒屋やカラオケボックスなど、貴重な体験も。ソウル駅から特急に乗り込み、南部の小さな町スンチョン(順天)へ。ここではシドニー時代に一番仲良くしていたリーヤン氏の実家でお世話になりました。

順天から釜山空港まで送ってもらい、アシアナ航空の国内線でチェジュ(済州)島へ。カナダ・バンクーバーで仲良かったドンチェル氏の実家を訪問。済州島の空港から関空へと帰国しました。

誰もがみな、手厚く歓迎してくれたので感謝の気持ちでいっぱいです。普通の一人旅ではなかなか味わうことの無い、韓国人家族のやさしさに触れた8日間でした。

【2001/12】ニューヨーク格安旅行

ビッグアップルニューヨーク

「ニューヨーク往復が2万5千円?」

911テロが起こった年の年末のニューヨーク行きのチケットがとても安く売られていました。ニューヨークという街への興味もありましたし、テロ後の復興へのパワーも感じてみたく、訪米を決断。韓国旅行から戻ってわずか数日後のことでした。

ノースウエスト航空機事件の関係で、4泊の予定が3泊になってしまいましたが、主要な観光地や、やりたかったことは網羅できました。マンハッタン地区は広いですが地下鉄やバスもとても使いやすかった印象です。夜も特に危険な雰囲気はありませんでした。何より、その街からあふれ出るパワーに元気をもらった感じです。

メトロポリタン美術館やMOMAでゆっくりとした時間を過ごし、ミュージカル「アイーダ」は最前列の学生用チケットを朝に凍えながら入手し観劇。そしてもちろん、崩れ去った貿易センタービル跡も訪問しました。作業がなかなか進まない様子、欠けている隣のビルなど、印象的な風景が目の前に広がっていました。

急ぎの4日間でしたが、1都市限定の海外旅行という経験も無かったですし、世界最大の刺激的な街は十分に楽しめたと思います。次はメジャーリーグの観戦など、まだまだやることがありそうですね☆

【2000/4-10】ワーキングホリデー in オーストラリア シドニー生活編

ワーキングホリデー オーストラリア

大学3年の夏休みに体験したカナダでの1ヶ月間が自分にとっては非常に充実し、今後の人生に大きな影響を与えました。「このまま就職活動をして社会人になる前に、もう一度海外へ!」と思った僕は、色々と検討した結果、ワーキングホリデービザを使ってオーストラリアに渡ることを決めました。3年終了時に1年間休学をして。

2000年のシドニーといえば、オリンピックで盛り上がった一年です。それを狙って、4月からシドニーで生活を始めました。最初の1ヶ月はホームステイをしながら語学学校へ通い、その後はキングスクロス地区のアパートに暮らしながら学校に行ったりアルバイトをしたりと、シドニーでのワーホリ生活を自由気ままに楽しんでいました。

9月には待ちに待ったシドニーオリンピックが開幕。事前に手配をしていたチケットで柔道など日本のメダル獲得の瞬間を目の当たりにし、高橋尚子選手が走るマラソン競技では沿道で応援。その他、できる限り毎日、オリンピックの競技を観戦し、一生に一度できるかどうかの体験を重ねました。

ブルーマウンテンズ国立公園、キャンベラ、ゴールドコーストなど、半年間のシドニー生活の間に各地に旅行も行きましたし、日本からも数組の友人を招きました。そして10月からのオーストラリア一周ラウンド旅行へと出かけるのでした。

※写真左:シドニーオペラハウス 右:マーティンプレイス

【2000/10-2001/2】ワーキングホリデー in オーストラリア ラウンド編

ワーキングホリデー オーストラリア ラウンド旅行

半年間のシドニーでの生活を終え、オーストラリア一周のラウンド旅行へと旅立ちました。バックパックひとつを抱えての初めての一人旅です。

シドニーから空路、タスマニア島のホバートへと飛び、クレイドル山国立公園などを回る タスマニア島半周ツアーに参加し、港町デボンポートから「スピリットオブタスマニア」号(フェリー)にてヴィクトリア州メルボルンへ。

メルボルンからグレートオーシャンロードを通って南オーストラリア州アデレードへ。カンガルー島を巡ったあとは北上してオパール採掘の街クーパーピディで洞窟ホテルに宿泊。さらに北上を続け、ノーザンテリトリーのアリススプリングスからエアーズロック、テナントクリーク、キャサリン渓谷を経てダーウィンへ。

有名なカカドゥ国立公園のツアーの後は、グレイハウンドバスでダーウィンから最後の秘境バングルバングルの遊覧飛行に参加するためにカナナラへ。南下しブルームの街で初めてインド洋を目の当たりにし、そこから空路パースへと飛びました。

パース近郊は、北はジェラルトンとハットリバー王国、南はエスペランスまで足を伸ばし、パースではホームステイをしながら2ヶ月近く生活の拠点としました。そして、パースから3泊4日のインディアンパシフィック号の列車旅を経てシドニーへと無事帰還。

初めての一人旅ではありましたら、オーストラリアは非常に旅行しやすく、一人旅の旅人たちともその都度楽しく、そして助け合いながらやっていけたので、快適・安全にオーストラリア一周することができました。初めての一人旅には絶対におすすめ♪

今回のオーストラリアでのワーキングホリデー生活で唯一行けなかった地域はクィーンズランド州北部のケアンズ~アーリービーチあたりのグレートバリアリーフ地域。いつか、かならず訪問したいと願っています。特に、色んな人に話を聞く「ホワイトヘブンビーチ」を訪れることが、今の目標のひとつです。

※写真左:アデレード 右:パース

【2001/2】ワーホリの帰りに立ち寄ったアジア旅行

ワーキングホリデー オーストラリアの帰りに立ち寄ったアジア

2001年2月、約10ヶ月のワーホリ生活を終えて、いよいよ日本に帰らなくてはいけない時期になりました。大学4年に復学するわけですから、もうこの時期は就職活動戦線のスタートが切られています。でもそんなことお構いなしに、すぐに日本に帰ろうとはせず、1週間ほどアジアに立ち寄っていくことにしました。

シドニーのトラトラでシドニー発シンガポール経由日本行きのチケットを購入。シンガポールは7日間以内なら滞在できるとのことなので、この機会を最大限に利用した旅行をしたいと思いました。

まずはシンガポールに数日滞在、そして国際列車「マレー鉄道」に乗車してマレーシア国境を越え、一気に首都クアラルンプールを訪問。そこからバスでマラッカを訪れ、またバスでシンガポールへと戻りました。

アジアの旅行は初めてだったのですが、この2カ国は食べ物も美味しく旅をするには快適そのもの。クアラルンプールのペトロナスツインタワーにのぼったり、マラッカ海峡に沈む夕日をのんびり眺めたり。最後は、マレーシア出入国事件で少しトラブルはありましたが、非常に中身の濃い1週間を過ごすことができました。

そして、帰国した翌日から就職活動を開始するのでした・・・。

MOMAアンリマティス事件

ロシア・サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館で観たアンリ・マティスの絵画に魅せられた僕は、ニューヨークの国立近代美術館(MOMA)でもマティスの数々の作品が観れることを楽しみにしていました。

入り口でもらった地図を広げて「さて、マティスの作品はどこにあるのかな?」

地図にあるとおりに、広大なMOMAの中を進みます。そして、目的階にたどり着いてその場に入ろうとしたとき、唖然・・・。

なんど、アンリ・マティスの作品のほとんどが、現在他の美術館に貸し出し中とのこと。いくつかの作品は楽しめましたが、ちょっと残念な気持ちでした。しかも追い討ちをかけるように・・・、なんとマティスの作品が貸し出されている先は「上野国立美術館」でした。奈良から東京経由でニューヨークまでやってきましたが、実はマティスの作品がたくさん置いてある美術館は東京のど真ん中にあったなんて。諦めるしかありませんでしたが、残念+驚きの出来事でした。

2001/12

マレーシア出入国事件

オーストラリアのワーキングホリデー生活が終わり、帰りに1週間、シンガポールとマレーシアに立ち寄りました。その時の出来事です。

シンガポールの中央駅からクアラルンプール行きの国際列車「マレー鉄道」に乗車しました。シンガポールでは出国審査のようなものがあったので、国境を越えたあたりでマレーシアの入国検査があるものとばかり思っていました。しかし、マレーシアのジョホールバルについても、特に何かの手続きをするという様子はありません。停車時間があったので、この時間に自ら外に出て手続きをすべきだったのかどうか、それも未だに分かりません。結局、何もやらないまま、列車はクアラルンプールに向けて走り出しました。、

「マレーシアに入国していないぞ・・・」

そんな、不安な気持ちはあったのですが、結局そんなことも忘れたまま、クアラルンプールとマラッカを観光。そしてマラッカからシンガポールに向かうバスが国境にさしかかって一人ひとりパスポートチェックを受けるときがやってきました。

「入国記録が無い!どうやってマレーシアに入ったんだ??」

やはり恐れていたことが・・・。列車で入国の際に、入国手続きがされていないことが問題になったようです。しかし、偶然にも、パスポートにマレー鉄道のチケットが挟まっていました。「これでどうだ!」と係員にチケットを見せると、パスポートに手書きで何かメモを書いてくれ、そのままパス。どうやら、そのチケットどおりに入国したことにしてくれたようです。

係員とのやりとりは5分ほどだったでしょうか。その間にも、僕が乗ってきたバスは全員がそろったと勘違いして発車っそうな雰囲気でした。大急ぎでバスに駆け寄り事なきをえましたが、もう少し長引いていたとしたら、僕の巨大バックパックはそのまま持ち主の無いままシンガポールへと運ばれていたことでしょう。

【出発前日】世界一周旅行と引越しを同時にすると・・・

2008/03/14 都内某所

ちょうど4年間お世話になった世田谷のアパートを引き払う日です。午後に引越し業者の方に来てもらって一緒に作業。約3時間かけて、近所のレンタルトランクルームに荷物を詰め込みました。2.5畳のスペースだったので、家財一式が全部入るかどうか不安でしたが、赤帽のおっちゃんの実力によってきっちりギリギリでおさまりました。※写真はまだ詰めている途中のもの。

それにしても、「数ヶ月海外に行くわけやし、賃貸の更新料がかかるタイミングだから、家を引き払ってしまえ!」と決めてここまでやってきましたが、正直なところ、世界一周旅行の準備と引越しの作業の同時並行は大変★

もちろん、半年・1年の長期旅行だとしたら家賃は勿体無いので良いと思いますが、中短期の旅行の場合はおすすめできません!引越しの疲れが旅の前半でドドドっと来てしまうと嫌ですからね。

とはいえ、無事引越し作業も終了し、あとは念願の世界一周旅行の出発を待つのみ。今日は都内のビジネスホテルで一泊。バックパックと手提げ袋数個を二人とも抱えて家を飛び出してきたので、これからちゃんとパッキングがんばります。

【1日目】その1 成田空港サクララウンジ

世界一周旅行初日 成田空港サクララウンジ

2008/03/15 その1

最近は朝早くの便に乗ることが多かったので、午後の成田空港というのは久しぶり。チェックインカウンターも比較的落ち着いていて、いつもと違う雰囲気を感じていました。

いよいよ世界一周旅行出発のために最初のチェックイン。すでに行列ができているエコノミークラスのカウンターではなく、JALのエグゼクティブクラス(ビジネスクラス)のカウンターへ初めて向かいました。二人分のキャリーバッグを預けて、JAL62便にチェックイン。

そして、ビジネスクラス利用客が出発までの時間を過ごすためのサクララウンジ(ビジネスクラスラウンジ)でビールを飲みながらこの記事を書いています。

人生初のビジネスクラスラウンジ。広々とした空間の中で新聞を読む人もいれば、ラップトップを広げて仕事をしている人の姿も。自分には縁が無いと思っていた場所に入ったことで、少々落ち着きを失ってしまいましたが、今はゆったりとソファにくつろぎながら無線LANを拾っています。

今回の世界一周旅行では、どんな楽しい出来事があるんでしょう。あと1時間に迫った出発を前に、ワクワク感が高まりつつあります★

【1日目】その2 経由地ロサンゼルス国際空港

ロサンゼルス経由中

サクララウンジにJL62便ロサンゼルス行きの搭乗開始のアナウンスが。荷物をまとめて搭乗口に行ってみると、すでに搭乗を待つ乗客で長蛇の列。しかし、ビジネスクラスのチケットを持っている僕たちは、スルスルと横をすりぬけて優先搭乗♪いろんなところでビジネスクラスのメリットを早くも享受しています。

17:20定刻どおりに飛び出した機内、ゆったりとしたビジネスクラスのシートをいろいろいじって遊んでいると、早速シャンパンでウェルカムドリンク。その後、メニューが配られて夕食が始まりました。前菜、メイン、デザートと3度に分けて出てくる食事はどれも美味しかったです。左の写真はがエミの和食前菜。

JAL自慢、180度平らになってゆっくり休めるのシェルフラットシートで、いつもよりはるかに快適に機内で過ごすことができました。

9時間後に降り立ったロサンゼルス空港のビジネスクラスラウンジでこの記事を書いています(写真右)。僕らはバックパックにフリース、ジーンズという明らかに「ビジネスクラス」に見えない格好だったようで、ラウンジに入った瞬間、「ここは入れないわよ」という対応をされましたが、チケットを見せると「オー、ソーリー、エンジョイ♪」と。

あと1時間半ほどで搭乗が始まるでしょうか。東京⇒ロス間よりもさらに長いフライト時間をかけて、LAN航空603便は僕たちの最初の目的国に運んでくれます。

【1日目】その3 ちゃんと見ろ、ビジネスじゃ!

ラン航空ビジネスクラス

2008/03/16 その3

ロサンゼルス国際空港のワンワールドラウンジでゆったりとした時間を楽しみ、いよいよ搭乗時間が近づいてきました。LAN航空603便サンチアゴ経由ブエノスアイレス行きの搭乗開始アナウンスがラウンジにも流れたので、荷物をまとめてゲートへ向かいました。

ゲートに行くと、搭乗を待つ人でごった返し。日本の空港の風景と同じように、長蛇の列が待ち構えていました。でも僕たちはビジネスクラス。人ごみをかきわけて横にある優先搭乗カウンターに向かいました。エコノミークラスの搭乗ゲートが開く前に、次々とビジネスクラスの乗客が乗り込んでいきます。

そして、僕らの順番が来たとき・・・

「ん?お前らはあの列の後ろに回れ!」

な、なんと・・・。僕らのチケットを見る前に、エコノミークラスのほうを指差して何か言っています。「は?ふざけるな!ちゃんとチケットみろや」と言いたかったですが、ビジネスの乗客らしくやさしくチケットを係員の目の前に差し出しました。

すると、態度は一気に急変。
「アイム、ソー、ソーリー。ソーリー。エンジョイユアフライト!」とやけに恐縮されてしまいました。先ほどのビジネスラウンジに続いて2度連続で見た目でビジネス客ではないと判断されてしまった出来事でした。それにしてもチケットを確認せずに決め付けたのは失礼極まりない☆

LANのビジネスシートは、JALのそれとは見た目は全然違って、ただ単に座席が大きく広くなっただけの印象でした。とはいえ、足はまっすぐ伸ばしても前の席に全然届かないですし、ほぼ水平になって横になれるので快適そのもの。シートベルトをつけると、前のシートポケットにあるものも取れないくらいです。

LAN603便は無事にロス空港をとび立ち、11時間かけてチリの首都サンチアゴへと僕らを運んでいくのでした。いよいよ人生初の南米大陸上陸が近づいてきました。

【2日目】チリ・サンチアゴ上陸。 ウニ事件勃発!

サンチアゴ

ロサンゼルスから11時間の長時間フライト、日本から通算すると24時間を越える長旅を経てようやくチリの首都サンチアゴに降り立ちました♪

さっそく荷物を置いて市内の中心部を散策。日曜ということもあり、朝のサンチアゴはひっそりとしていますが、差し込んでくる太陽が高くなっていくにつれて秋の陽気がとても気持ちよく、アルマス広場のベンチでのんびりと地図を広げながらくつろいでいるのが楽しく感じました。

今回の旅行で初めて街を歩くということで、早速銀行に立ち寄ってシティバンクのキャッシュカードが作動するか実験。チリペソを1万円分くらい無事引き出し完了。なんか、米ドルのレートが100円を切ってすごいことになっているらしいので、米ドルを引き出したいのですがそれはさすがに無理そうです。

宿から徒歩10分くらいのところにある中央市場にランチのために向かいました。庶民の台所ともいうべき鮮魚が並ぶ生臭いエリアを抜けてレストランエリアへ。その一角でさっそく名物エリッソ(ウニ)をいただくことに。大量にさらに盛られたウニで1000円ほど。日本では考えられない価格です。玉ねぎやらレモン、しょうゆやわさびなど自由に使って食べます。最初は「うまい!」と思ってパクパク食べていましたが、途中でリタイア。疲れた体にいきなり刺激的な生物は良くなかったのでしょうか。その後ホステルに戻ってぐったり。いきなり最初の食事で洗礼を受けることになりました。※当記事執筆時は快調に回復しております。

そんなわけで、午後はこれまでの長旅の疲れを取るためにホステルでのんびり過ごすことになりました。チリの本番はあさってからのイースター島。また5時間ほどのフライトが待っていますので、それまではサンチアゴでゆっくりしていようと思います。

【宿】サンチアゴ アンデスホステル

サンチアゴ

アンデスホステル

プライベートバス・トイレ付きダブルルーム 1泊USD50ドル(朝食付き)

とても快適なホステル!
ロビー、キッチン、食堂、部屋のどこもキレイで落ち着いた雰囲気です。ロンリープラネットに掲載されているようで、英語圏の旅行者がほとんどを占め、日本人やアジア人の姿はありませんでした。ロビーで無線LANが使えるので、メールチェックやブログ更新、仕事のやりとりは快調にこなせました。エミもスカイプで日本の家族とお話を楽しんでいました。

2008/03/16-18

【4日目】その1 イースター島に上陸

ラン航空ビジネスクラス

2008/03/18 その1

今日は念願のイースター島への移動日。サンチアゴのアンデスホステルを朝6時に出発して空港に向かいチェックイン。今回搭乗するLAN航空841便の座席は「1H」、なんとビジネスクラスのさらに最前列をゲット。

午前9時10分に時間どおりに離陸し、大陸から遥か遠くにポツリと浮かぶイースター島に向かいます。飛行時間は約4時間半、チリの一部というよりも、また別の国に向かうような気持ちです。

サンチアゴまでの過程でドッと疲れてしまっていた僕らですが、今日のLAN航空のビジネス座席でゆっくりできたことでかなりパワーを取り戻しました。特に、180度完全に水平にできるモードにして数時間みっちり眠れたことが大きかったです。※上の写真の左側参照。左下にある水平モードのボタンを押すと、座席がガキゴキいいながら形を変えて水平ベッドになります。

しっかりと眠れたときは飛行機なんて目的地まではあっという間。海の中に突然あらわれた緑いっぱいの島へ無事着陸しました。リゾート気分の乗客からは拍手喝采が。僕らにとっても、出発からここにたどり着くまでの過程がえらく長くて大変なものだっただけに、感動がいっぱいです。

右の写真は、イースター島の空港に到着したLAN航空機から降りてくる乗客たち。村のはずれに滑走路だけがポツンとあるという印象の空港です。この後、僕たちは、予約しているホテルの出迎えを受け、そしてチェックイン。5日間のイースター島での休暇が始まりました。

思っていたよりも「夏」の雰囲気がいっぱいで、きれいな空気と強い日差しによってエネルギーが補充されていくようです。僕もエミもこののどかな雰囲気から元気をもらって疲れも吹っ飛ぶ感じがしています。

【4日目】その2 ファーストモアイご対面&ハンガロア村を散策

モアイとハンガロア村

2008/03/18 その2

マナヌイインにチェックアウトした後は、さっそく夏用の服装に着替えて徒歩で近辺を散策。

イースター島の中心地は、空港も隣接するハンガロア村。中心というか、イースター島に町と呼べるものはここにしかないので、活動拠点は自然とこの周辺になります。ちょっと足を伸ばして観光するならば、ツアーやレンタカー、馬などを使って回る必要があります。

マナヌイインから村に向かって海岸線を歩いていると、さっそくいくつかのモアイが立っていました。これが記念すべき最初のモアイとのご対面。ただの石造というわけではなく、なぜか親しみやすくかわいらしいというのが最初の印象でした。これからたくさんのモアイ像と出会えることを思うとワクワクしてなりません☆

そのまま、ハンガロア村のメインストリートへ出ました。上の写真の右側が、実は、メインストリートの風景です。全く何も無いように見えますが、レストラン数件、スーパーマーケットもあればインターネットカフェやコインランドリー、土産物屋、レンタカーオフィス、ラン航空オフィス・・・など、ポツリポツリと点在しています。スーパーで水を買ってみましたが、やはりチリ本土と比べて物価は2倍以上??あまりにも離れた孤島だけに仕方ないのかもしれませんね。

日差しが強く、長い時間歩き回っているとバテてしまいそうなので一旦宿に戻り、夕方のサンセットに備えたいと思います。

【4日目】その3 アフ・タハイのサンセット

アフ・タハイのサンセット

2008/03/18 その3

実は、僕らが宿泊しているマナヌイインは一面に海が広がるオーシャンビューで、右の奥のほうには5体のモアイが並ぶアフ・タハイまでが一望できます。そんなアフ・タハイはサンセットを楽しむためのベストスポットとして知られているので、さっそく楽しんでみたいと思いました。

宿を出たのが夜の8時過ぎ。それくらいまでイースター島の空は真っ青に透き通っています。宿から徒歩10分程度でアフ・タハイに着きますが、同じくサンセットを楽しもうとする観光客がいろんな方向から集まってきていました。そして、太陽が水平線に沈もうとするそのときから、赤く染まりゆく空とそびえたつ5体のモアイ像との調和が見事に映りはじめました。この光景が見られただけでも、イースター島初日は大満足。明日もまたアフ・タハイ周辺は散策してみたいと思います。

夕焼けのあとは、真っ暗になったハンガロア村に立ち寄って夕食。夜中まで営業しているレストランもポツポツあったので助かりました。肉、野菜、そしてイースター島名物のマグロステーキなど、意外と僕たちの口にあって美味しかったです。

【宿】イースター島 マナヌイ・イン Mana Nui INN

マナヌイイン

マナヌイ・イン

ハンガロア村から海岸沿いを歩いて10分ほど。小さなコテージのような宿泊施設が敷地内にいくつか建てられており、プライベートなスペースを楽しむことが出来ます。僕たちは、普通のダブルルームを予約していましたが、予約の都合か何なのか、2LDKレベルのファミリータイプを1軒まるまる使用できました。テラスにはあたたかい日差しが差し込み、アフ・タハイのモアイも一望。相場よりも若干高めの宿かもしれませんが、その内容には満足です。

ダブルルーム 1泊80USドル

2008/03/18-22

【5日目】その1 朝のアフ・タハイ

朝のアフ・タハイ

2008/03/19 その1

今日はイースター島じゅうのモアイを散策する日!

まずは宿から近い、昨晩夕焼けを堪能したアフ・タハイへ。青い海と緑の草花の中に立つモアイ、そして脇をゆっくりと歩いていく放し飼いにされた馬の群れ。のどかな雰囲気で時間の流れがいっきにスローになっていくのを感じます。

アフ・タハイの5体のモアイを過ぎるとその先にはアフ・コテリクという「眼」がはめ込まれたモアイが立っています。現在のイースター島で眼がはめ込まれているモアイは唯一これだけとのことです。大海原に背を向けて、イースター島の中の安全を見守るために、いつも眼を光らせてくれているような、そんな強さが伝わってきます。

アフ・タハイ一帯を通り過ぎて少し歩くと、イースター島博物館があります。ここではイースター島の歴史やモアイの製造・運搬にかかわる事実や学説、そしてモアイの貴重な一部分など、興味深いものが多数展示されていました。写真を撮ってはいけなかったのが残念。

午前の散策はこれにて終了し、午後の計画を練るのでした。

【5日目】その2 レンタカーでイースター島を一周する☆

レンタカーでイースター島を一周する

2008/03/19 その2

それにしてもイースター島の今の時期は天気がバツグンに良いのです。小さな雲がモクモクしているときはありますが、基本的に透き通るような青空と真っ青に染まった海はずっと変わりません。旅程を組む際に、当初はもう少し後にイースター島を計画していたのですが、乾季から雨季に変わってしまうとせっかくの旅行の楽しみも減ってしまう可能性があり、乾季のこの時期に決行したのです。

さて、午後になってもやはり天気は良かったので、「レンタカーを借りて島を一周しよう!」ということになりました。早速、街中のレンタカーオフィスをいくつか当たってみました。この島の9割以上のレンタカーはマニュアルの4WD車です。一部オートマティックもあるようでしたが、価格は1.3倍くらいでした。街中での相場は、24時間借りて80ドル前後?意外と高い印象です。

街中で借りるのは諦めて、あらかじめ聞いていた宿のオプション(24時間:70ドル)で手配してもらうことにしました。本日2時からの24時間、いよいよイースター島ドライブのスタートです。

とはいっても、僕にとってはドライブに関してはいくつか問題点が・・・。そもそもゴールド免許ではありますが、運転経験がかなり浅いのです。気になった点を挙げてみると・・・、

◎運転自体が4年ぶり(前回は石垣島でレンタカー)
◎4DW車の運転は初めて
◎オフロードの運転は初めて
◎マニュアル車の運転は教習所以来11年ぶり(実践は初)◎左ハンドル右側通行は初めて

こんな感じて、ただでさえ運転が得意でない僕にとって、初物づくし。最初は「ツアーで効率よくまわろうか」とも考えていました。しかし、せっかくの機会ですし、自分で運転してイースター島の行きたいところをまわりたい!という気持ちが強く、レンタカーを選択しました。

宿に届いた車(写真左)は、ダイハツの4WD車。結果的にレンタカーは大正解で大満足。途中、エンストを数十回起こしながらの走行でしたが、行きたいところを自分のペースでまわれるという利点を最大限に活かせた結果となりました。放し飼いの馬だけには注意しながら、ガクガクのオフロードをがんばって走破★

最初に訪れたのは島南西部にあるラノ・カウという火口湖です。ひどい道を一気に駆け上がってたどり着いた頂上から眺めたときに火口は、まさに言葉を失う光景(写真左)。火口の中に鮮やかな湖が青々と広がっており、そしてその先に見える遥かかなたの水平線と青い海。鳥肌が立つ神秘的な眺めに立ち尽くすだけでした。

一路、火山をくだり、各地のモアイへと向かうのでした。

【5日目】その3 モアイ探検隊

モアイ製造現場ラノ・ラクク

2008/03/19 その3

たくさんのモアイがあちらこちらに転がっている場所。それが、「モアイの製造工場」だったラノ・ラククです。これまでの歴史の中で作られた800を越えるモアイ像のすべては、この場所の石を使って掘り出されました。すでに製造を終えたけど地面に突き刺さったままのモアイ、製造途中で明らかに未完成なモアイ、岩の斜面にこれから削られようとしているモアイなど、この地だけで約400のモアイが点在しています。

僕らが普段目にする整然と並んだモアイの姿からは想像できない、異様な光景がその場には広がっていました。

アフ・トンガリキとアフ・ナウナウ

さらに車を東へ進めると、ようやく視界に入ってきました、モアイと言えばこれ!といえる、あの15体のモアイが並び立つアフ・トンガリキ(写真左)です。日本のクレーン会社の協力によって15年くらい前にこれらのモアイ像が復元されたという話は有名かもしれません。手前にあるプレートには英語スペイン語と並んで日本語でその復元の説明がされていました。

アフ・トンガリキのモアイは朝日の時間帯が一番きれいと言われているようです。僕らが訪れたのは午後5時くらいでしたが、そんなことは関係ないくらい、とても美しく、こころを奪われる風景でした。

車は島の北側の道を通ってスタート地点のハンガロア村へと戻っていきます。途中立ち寄ったアナケナ海岸では、観光客や地元の住民がたくさん、水着姿で泳いでいます。そしてその白浜から内陸に目を向けると、アフ・ナウナウというモアイが5体並んでいます。帽子のような「プカオ」を被ったモアイは数少ないので、とても貴重なモアイたちです。

午後3時ごろにハンガロア村を出発し、戻ってきたのは7時。約4時間の島一周ドライブは、オフロード部分が思った以上に大変でしたが、安全に楽しくまわれました。気になっていた「左ハンドル・右側走行」については、普段日本で運転を全くしない分、日本式への慣れもすくなかったのか、全く違和感無く運転できたのには驚きました。マニュアルのギアチェンジも、教習所以来でしたが、体がしっかりと覚えていたようでした♪

【6日目】モアイと物価とインターネット

モアイ

2008/03/20

イースター島での滞在も3日目となりました。到着からずっと、雲がほとんど無い青空が続いていますが、今日も変わらず絵に描いたような青空ときれいな海、そして強い日差しは健在です。

午前中までは、昨日借りたレンタカーが使えたので、ハンガロア村を往復。昨日のモアイ探検でかなり服が汚れてしまったので、まとめてランドリーへ。約7キロの洗濯・乾燥・アイロンがけまでやってくれて6000ペソ(1500円)ほど。村に一軒しかないランドリーですし、ジーンズなどは手洗いは大変ですので、仕方ありません。

それにしても、イースター島の物価は異常に高い。アグアミネラルシンガス(ガス無しの普通のミネラルウォーター)2リットルが1100~1500ペソ(300~400円)くらいしますし、ちょっとした食事も、チリ本土の1.5倍~2倍はするでしょうか。離れ小島で物資も不足するのでしょうか、少々痛いところです。

レンタカーの返却時間が迫ってきたので、ハンガロア村のメインストリートの端にあるガソリンスタンドで給油。給油口の開け方がよく分かりませんでしたが、店員が無理やりこじ開けて何とか開きました。1リットルあたり850ペソ(210円)と、またこれも日本よりも高かったですね。

さて、レンタカーも無事返却しました。(特にチェックも何も無し・・・)
昨日までで、ほぼ島の観光拠点の周遊を終えたので、今日からは「リラックス」に重点を置いて楽しむことにします。とにかく、部屋からのオーシャンビューの眺めが快適で、右側にはアフ・タハイのモアイ像5体がばっちり見えますし、水平線もほぼ180度広がっています。こんな宿では、何もすることなく、ベランダで読書をしたり日記を書いたり。こんな過ごし方も非日常的でよい感じです。

午後の太陽の日差しが少し収まってきたころ、ようやく重い腰を上げてハンガロア村の散策にふたたび出発。まずはあらかじめ見つけていたインターネットカフェへこの島ではじめてのメールチェック。大きな「@」マークが目印のお店では、自分のパソコンを持ち込むと無線LANで接続させてくれます。

しかしまぁ、なんと接続速度の遅いこと。いろいろ仕事のサイト更新業務などがたまっていたのでやりたかったのですが、全部することできず、早1時間が経過。お金もかかってしまうので今日はここまでで退散し、明日またメールの原稿などを準備して出直すことにしました。 ※ネットカフェ 1時間1500ペソ(400円弱)

頼んでいたランドリーで荷物をピックアップして、夕飯を食べて戻るのでした。食事は軽く外食して二人で3000~5000円。なかなかエコノミーな旅行とはいきません。

【7日目】気まぐれラパヌイの人々

モアイと馬と夕暮れ

2008/03/21

今日もリラックスな1日なので、特に何をしたという大きな出来事はありません。興味深かったことをメモとして残しておきます。

まず、食事ですが、宿では朝食のみが提供されました。フルーツジュース・パン・チーズ・ハム・フルーツ盛り合わせなど、毎日盛りだくさん。作りたてのチーズオムレツが出てくるときも。毎朝8時半から、宿泊している皆さん全員がダイニングルームに集まって朝日に照らされたモアイを眺めながらゆっくりと朝を楽しみます。

昼と夜は宿では食べることができないので、自然と外食になります。外食と言ってもレストランの数は限られていますし、どの店もメニューに大差はないそうです。その中でも、初日の夜にかけこみで入ったお店が絶品で、その後何度か通うことになりました。写真左側、手前がビーフ、奥がイースター島名物のマグロです。なぜかイースター島の味付けは僕らにピッタリ合いました。

それにしても、レストランでオーダーしてから料理が出てくるまでが長い!初日は、すでに2組だけ先客がいたのですが、1時間以上は余裕で待ったのではないでしょうか。その分、できたてで美味しいものが出てきたからよかったものの、日本では考えられないほどのゆったりさです。それは他の店も同じで、「私は一人でやっているから2組以上の食事は一緒に準備できないわ!」と歌を歌いながら楽しそうに経営しているおばあちゃんもいました。ラパヌイ時間に慣れれば、どうってことないのですが、最初はさすがに驚きでしたね。

また、営業自体に関しても気まぐれなのでしょうか。初日に行ったお店に3日連続で行こうとすると、玄関で机を片付けているオーナーの姿が。どうしたんだ?と聞くと、首を横に振って「今日はもういいや」といった表情。まだ夕方の6時半なのになんで閉めるんだ・・・。とても楽しみにしていたメニューがあったのですが。このお店は翌日も6時過ぎには閉店。別の例のおばあちゃんの店も、僕ら含めて客が2組入った時点で、もう無理と判断したのか僕ら以外の机やメニューの黒板を片付け始めました。これもまだ7時半ごろ。果たして営業時間がそんなものなのか、本当に気まぐれだけなのか、よく分かりません。

レストランではないですが、昨日行ったインターネットカフェも、今日は何度見に行っても店が開きません。結局1日ずっとあくことなく、準備していたメールなどは送ることができませんでした。近くにあった1軒も、開いてはいるものの「今日だけは無線LANは使えないんだ」とのこと。なかなか思ったとおりに行かない、気まぐれラパヌイなのでした。

右の写真は、おばあちゃんのお店から宿に帰る途中にいた馬とモアイと夕暮れ。馬が普通に町中に放たれていて、とても不思議な雰囲気です。

【8日目】さらばイースター島

宿

2008/03/22

今日も宿でおいしい朝食。グアバの生ジュースはエネルギー補充に最適です。いよいよこれでイースター島も最終日です。4泊5日の滞在はあっと言う間でしたが、世界一周旅行のスタートを飾る土地としては、もう最高☆大満足で島に別れを告げることができます。

最終日の今日だけは、空は一面雲で覆われていますが、滞在したほぼ全日程において、青空がいつも満ち足りており、美味しい空気とあたたかな日差しを浴びて、これまでの長かった旅路の疲れを癒すことができました。

10時半に、宿の送迎者にのりこみ、11時にはイースター島・マタベリ空港に到着。びっくりするほど狭い空港ですが、たった2つのチェックインカウンターに乗客200名以上が長蛇の列。僕らは間一髪、そのピークの前にチェックインすることができ、ビジネスクラスのまたもや最前列をゲット。

動き出していきなり最高速度で離陸したラン航空642便は、5時間のフライトを経て南米チリのサンチアゴへと向かいました。フルフラットシートでゆっくりと休んでいるとあっというまにアンデス山脈の山々が眼下に広がっていました。夕暮れ時のアンデス山脈は、雲の上から顔を出すいくつもの山頂が赤く色づいて、キレイで幻想的な風景を作り出していました。

午後8時に無事着陸。1泊だけネットで予約していたホステルに投宿。まさに素泊まりという感じで、そのまま明日の移動のために体力温存することにしました。

【宿】サンチアゴ エコホステル Eco hostel

宿

エコホステル

イースター島から戻った夜に1泊だけ宿泊。翌朝6時半に空港に向かったので、ただ寝るだけの1泊でした。朝食付きでしたが、8時からだったためいただけず。オーナーのおじいさんは気がよく、何でも相談にのってくれそうです。空港行きバスの予約もしてくれました。

ロビーでインターネットは一人7分無料(冗談だと思いますが)。また、無線LANが飛んでいてパスワードも教えてもらったのですが僕のPCではつなげませんでした。原因は分かりません。

ダブルルーム 一泊US42ドル

2008/03/21

【9日目】その1 世界一周2カ国目・ペルーの首都リマに向かいます

サンチアゴ空港ビジネスラウンジ+空からの景色

2008/03/23 その1

イースター島を思う存分楽しんだ僕たちは、今日はこの度の第2カ国目であるペルーに向かいます。朝6時半の空港ピックアップバスにのりこみ、サンチアゴ国際空港へ。イースター島行きのときもそうだったのですが、チェックイン時に「空港税を払え!」と今日もトラブルに。チケットにはチリの空港税は払っていることになっているのですが、世界一周航空券はかなり細かな文字コードがぎっしり詰まっているので、カウンターのお姉さんでは見つけられないのでしょうか。上司の方が出てきて入念にチェックし、僕もチリの該当箇所を指差して説明。結果、「ソーリー」と言われてパス。やはりチリの空港税は支払い済みでした♪

国際線出発の楽しみのひとつは、やっぱりビジネスラウンジ。サンチアゴ国際空港自体、とても新しい空港ですので、きれいで広々としたワンワールドラウンジがありました(写真左)。今朝は朝食を食べる時間は無かったので、ここでサンドイッチやマフィン、オレンジジュースなどをいただいて満足。無線LAN接続も問題なく、久しぶりにメールの送受信や当ブログの更新もできました。

しかし、あまりにも快適でゆっくりしすぎたため、トラブル発生★

搭乗アナウンスのあとも少し余裕を持ってラウンジを後にしたのですが、ラウンジから搭乗ゲートまでの距離が意外と遠い!!画面の表示ではランペルー航空638便は「LAST CALL」とのこと。ヤバイ!と思いながら小走りに駆けていきました。

ようやく端っにある10番ゲートにたどり着いたときには、乗客は誰一人と待っていませんでした。「おー、イシダ??」と言われて、ギリギリ搭乗。猛ダッシュしてエミはまだまだ後ろにいたので、「ワンモアパーソンいるよ!」と後方を指差して、何とか二人とも無事乗り込みました。

乗り込んだ期待のビジネスシートを見てびっくり。「え、これってエコノミーの座席では?」と思うほど、小さいシートでした。今までの長距離移動とはちがって、今回のサンチアゴからリマまでの移動は3時間程度。それほど大きなビジネスシートは用意されていないのでしょう。とはいっても、シートピッチはエコノミーより10~20センチは広いですし、3人席の真ん中の席が飲み物置き場になっているので、違うと言えば違うのでしょう。

そんなことをしているうちに、機体は一気に空へと羽ばたき高度をグングンあげていきます。6000メートル級の山々が連なるアンデス山脈では、雲の上にのまだまだ山が続いていました。(写真右)

【9日目】その2 ペルーの首都リマに到着!

2008/03/23 その2

ペルーの首都リマに降り立った僕らは、予約してあった当山ペンションの運転手の出迎えを受け、もう1組の日本人夫婦旅行者とともに宿へと連れて行ってもらいました。思えば、日本を出てまだ9日目ではありますが、うちら夫婦以外の日本人としっかりお話をしたのは、この送迎車中がはじめてかもしれません。その夫婦は、マチュピチュ・クスコから国内線で戻ってきたとのこと、宿の情報やマチュピチュの生の情報をいくつか教えてもらいました。

宿に到着すると、オーナーの当山ペペさんが明るく出迎え。ハキハキと宿やリマについて説明してくれるその姿はとても信頼が置ける感じがし、この宿を選んで正解だったとこの時点で確信しました。ネットの無線LAN環境や、キレイな部屋、洗濯・朝食無料など、やはり大満足の2泊となるのでした。

さっそく、宿の周りを散策。ヘススマリア地区という高級住宅街に位置しており、とても安全な地域とのこと。スーパーマーケットや銀行などをうろうろし、初のインカコーラ(デカビタCみたいな美味しい炭酸飲料でした)を楽しみ、ゆっくりと午後を過ごしました。観光エリアの旧市街・新市街はすこし離れた場所にあるので、今日は無理せずに明日にとっておくことにします。

夜はペペさんオススメの中華料理屋でひさしぶりにしっかりと夕飯を食べ、夜はロビーで日本と仕事の打ち合わせなどをして無理をせずに休むのでした。明日は少し足を伸ばして、観光エリアを訪問してみる予定です。

【宿】リマ 当山ペンション

宿

当山ペンション

超★快適な日本人向けホステル。明るくてとても優しいオーナーの当山ぺぺさんが、安全で楽しいリマ滞在をサポートしてくれます。全体がキレイに保たれていますし、ホットシャワーや無料朝食・無料洗濯サービスもうれしい。また、インターネットは日本語で自由に使え、自分のパソコンを持ち込めばロビーで無線LAN接続が可能です。溜まっていたブログの更新や、仕事のやりとりなど快適に行えました。

リマの中でもとても安全な地区にあるらしく、食事や買い物のために外を出歩くのも安心。「こんなに快適だと分かっていたら、もっとゆっくりしていったのに!」と思ってしまいました。事前にペルー国内のツアーの提案や格安国内航空券の予約もペペさんにお願いできます。僕らは国内線の航空券を1区間予約してもらいました。

ツインルーム トイレ・バス付き 一泊US32ドル
空港からの送迎往復でUS24ドル

2008/03/23-25

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