
飛ばないノースウエスト航空機


テロ事件が起こって3ヶ月のニューヨークを訪れる機会を得たので、成田空港のノースウエスト機に乗り込みました。ニューヨークの現状を生で見るという好奇心もありましたし、ニューヨークという街自体の観光も楽しみでした。いよいよ出発という状態で、飛行機が離陸するのを待っていました。
最初は特に何のトラブルも無く、ボーディングブリッジから離れた機体は滑走路に向けてゆっくりと動きだしました。しかし、ある地点からまったく動きを止めてしまったのです。
滑走路の順番待ちかなと思いましたが、数十分たっても動く気配はありません。まわりが徐々にザワつきはじめます。水が配られたり飴ちゃんが配られたり。そして機長より「機内を温暖に保つシステムに問題がある」という知らせが入って、原因調査+復旧作業が始まりました。
その後、何の連絡も入らないまま、何と「4時間」が経過。そこからは逐次アナウンスが入ってはいましたが、依然復旧の目処立たず、5時間が経過したところで成田空港の発着制限時刻を超過。無念の離陸断念となりました。
ボーディングブリッジに戻り、一度行った出国を取り消す「VOID」スタンプをパスポートの出国欄に押してもらいました。そして成田空港のホテルに順次案内され、登場客はみんなフリーで宿泊。夕食・朝食はなぜか成田のホテルでいただくことになりました。
次の日の朝、修理を終えた機体に乗り込み、今度はようやく順調にテイクオフ。その後は1泊減ってしまったニューヨークを濃く楽しむことができました。
今となっては、その機体トラブルを抱えたまま離陸しなくて良かったという気持ちでいっぱいです。また、豪華なホテル宿泊、貴重なVOIDスタンプ、そしてノースウエストの2万マイル進呈など、いろいろ良い経験もできたので良かったかなと思います。
2001年12月
上記の写真に写るノースウエスト機が犯人だ!


初めてのフライト

初めて国際線フライトを利用したのは、19歳・大学2年の夏、大学の研修プログラムで1ヶ月間イギリスに行ったときでした。そもそも飛行機自体に乗るのが初めての経験でした。
KLMオランダ航空、関空発・アムステルダム行き。ど真ん中の席に当たってしまったため、せっかくの初フライトなのに窓からの眺めを楽しむことはできませんでした。滑走路を走って離陸するときなど、外が見えたらかなり恐れてしまいそうなので逆に良かったのかもしれません。「落ちる~」「こんな鉄の塊が飛ぶわけ無い!」などお決まりのパターンで取り乱すことなく、冷静でいられました。
初めての機内食にも感動し、食事と食事の間におにぎり・カップラーメン・アイスクリームなども自由に食べられるというサービスの良さ。他のエアラインはもちろん未経験でしたが、KLMはとっても良い印象のまま初めてのフライトを終えました。
1998年8月


搭乗券紛失事件!

2000年4月、ワーキングホリデーのスタート日、オーストラリアのシドニーに向かっていたときのこと。関空からブリスベンまで直行便で飛んで、一旦機内から降りてから同じ便に乗り込んでシドニーが最終目的地という変わったフライトでした。
ブリスベンまで無事到着し、待合ロビーで1時間の待ち時間。そして、再搭乗のアナウンスが聞こえてきたとき、「や、やばい!」と。なんと、ブリスベン発シドニー行きのボーディングパスがどこかへ行ってしまったのです。
一度機体から降りるときにはあったので、絶対にこのブリスベン空港の待合ロビー内にあるはずなのですが、動き回った場所を見回ってもありません。カバンの中や本の間を探しても無い。このままでは初日から空港で迷い人になってしまうのか・・・。
そんなとき、あることを思い出しました。そういえば、ワーキングホリデー出発の記念に、搭乗券をデジカメで撮影していたのだ!
デジカメの小さいモニターに映し出されている搭乗券と氏名、そして座席番号を精一杯ズーム表示して、カンタス航空係員に見せました。まだデジカメが一般的でなかった頃なので、係員はびっくりして、まわりのスタッフを呼び集めました。「これ見てみろよ!」と楽しそうに談笑しています。
こっちはそれどころじゃないのだけど・・・。
「OK、大丈夫。乗っていいよ!」と、とても軽いノリで機内へと促されました。僕としてはとても助かったのですが、セキュリティ上、大丈夫だったのかなぁ。航空会社に登録されているデータとデジカメ画面、そしてパスポートを照合したので、何とか大丈夫なのでしょう。
こうして、晴れて、ワーホリのスタート地点であるシドニーへ降り立つことができたのでした。
※結局、雑誌の中に搭乗券は隠れていました・・・。
